1.25はもちろん想定内

 今日の日経新聞の社説は「大想定外“出生率1.25”に危機感を」。
 そんな見出しこそ「大想定外」だった。ええっ、まさかあの程度の少子化対策で、出生率が立ち直るとでも思ってたの? 1.25なんて、十分「想定の範囲内」じゃない。
 記者さん以外にもしかしてお役人や議員さんも、1.25を意外だと感じているのだろうか。だったらずいぶん甘いと思う。児童手当をちょっと増やせば喜んで産むだろうなんて、女をなめている。

 私は3年前のWeb日記に、「少子化はもっと進行する」と書いた。今読んでも結構いいことを書いてると思うので転載。

■2003/08/01 (金) 少子化はもっと進行する

子どもなんて、実は全然歓迎されないのだ。
子連れではどこへ行くにも肩身が狭いし、何をするにも不自由だ。
偉い人たちが少子化を憂うのは、
単に「人的資源」の減少が「我が国の競争力」を減衰させるからにすぎない。

私の考えでは、出生率アップの方策は3つある。
1)お金で釣るなら、児童手当の微増程度ではなく、子供を1人産むごとに1,000万円贈呈!ぐらいの金額。
2)危機感で釣るなら、年金の全面廃止。老後は子供に養ってもらえ、子供のいない人は養子を迎えろ。つまり戦前までの方法だ。親分・子分というのは元来そういう含みがあり、昔は独身者でも養子を迎えたりしていたらしい(芸事の師匠とか)。
3)雰囲気で釣るなら、子供が世の中でかわいがられること、子供を産んだ女が世の中で大事にされること(せめて、子供を持ったことで不利な立場に追いやられないこと)。

 お金や危機感政策は、見た目には極端。だけど本当は、3)が一番むずかしい。2)も結局は 1)と同じくお金問題で釣る策なのだが、3)は経済効率に真っ向から反対する考え方だからだ。
 子供とか子供を育てる立場の者は、どうしても経済的には効率が悪い。その立場の人間を優遇するというのは、現在の日本社会を否定してつくりかえることに近い。それだったらいっそ大勢の移民を受け入れるほうがまし、とお偉方は考えるに違いない。

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ブログにしてみた

ザイニューサイトの更新が滞っていたので、思い切ってブログに移行した。いつものニフティ・ココログだが、独自ドメインを取った。
過去に作りかけていた「ローマ字入力者のための単語登録法」研究のコンテンツも、いずれこちらに移す予定。

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子供を育てるのは大事業

 このところ、小6の長女が不登校気味。私は仕事時間を調整できるからましだけど、外で働いている保護者はこういうとき大変だろうと思う。

 遅刻や早退の場合は親が付き添うという決まりだから、「今日は午後から行く」「6時間目だけ行く」というときは私が連れていくことになる。
 ※通学時の安全対策らしい。全国的に同じかどうかはわからない。高学年は、イレギュラーな時刻でも子供単独の登下校OKにしてくれるといいんだけど…。

 本人が行くと言っていても時間になるとお腹が痛くなり(仮病ではなく本当に痛くなるらしい)行けないときもある。今日は行かないと言っていても、放課後に行く気になるときもある(その程度でも出席日数としてカウントされる)。
 正社員やパートの人なら、子供を学校に送っていくために半休を取っても空振りになる。逆に子供が突然行く気になっても、その時間に親がいなければ登校することができない。

 子供を産んでも働き続けられる環境整備を、と政府は少子化対策で言う。
 けれども乳児・幼児はどうしても病気をするし、小学校に入れば宿題を見てやり、鉛筆を削ったか確認してやり、親自身も地区パトロールや朝の読み聞かせ会、クラス役員、参観日、保護者会と、時間を取られる。
 子供は学校にお任せという考え方は、もちろん良くはない。子供を育てるのは大事業で、仕事と両立させられるようなものではないのかもしれない。

 まして不登校気味だと、完全な不登校でないだけにかえって親の時間を突然取られ、予定が立たない。これに振りまわされているうちに、親の介護が必要な時期になったりするのかもしれない。

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入力者のイノベーション

 そもそも、大きいことが企業家精神とイノベーションの障害になるという説は正しくない。(中略)事実が明確に示しているところによれば、企業であれ、公的サービス機関であれ、小さな組織が最も企業家精神に乏しく、最もイノベーションの意欲がないのである。(ピーター・ドラッカー著「イノベーションと企業家精神」より)

 これは本当によくわかる。私の仕事で言えば、日々の打ち合わせ、実作業、納品、請求書提出…をこなすのに手一杯。経費の記帳さえたまってしまって、あとから必死で取り組む始末だ。自分の仕事方法を革新しようなどという時間や気持ちのゆとりなど、到底生まれない。それにどっちみち、文字の自動認識(OCR)や音声認識システムの研究開発などは、取り組むことさえ不可能だ。

 イノベーションは「技術革新」と訳されることが多いが、本当は技術面(例えばOCRや音声認識システム)の革新だけではなく、もっと広い意味での革新を言うらしい。
 技術面以外で見れば、私たちのような個人の入力者(テープ起こしをする人含む)は、実は非常に意義深いイノベーションを成し遂げている。それは、一度も会わずして仕事をやり取りする技法だ。

 一度も会ったことがないが何年も仕事を出してくれているクライアントがいる。仕事をお願いしているが一度も会ったことがない入力者がいる。
 クライアント→(面識なし)→私→(面識なし)→入力者

 技術的には、それが可能になったのはインターネットのおかげといえる。インターネットという通信形態と、それに関連するさまざまな技術(Webサイト、宅ふぁいる便などのファイル受渡しサービス、メーリングリストなど)のおかげで、顔を合わせなくても仕事ができる環境が整った。
 仕事の受渡しに宅配便を使っていたときは、距離によって料金や到着までの時間が違ったから、できるだけ近くの人が望ましかった。しかし、ネットの世界では距離による差がない。だから相手が遠方でも問題はない

 インターネットやそれに関連する技術の開発自体には、私たちは関与していない。私たちが開発したのは、顔も合わせず声も聞かずに情報をやりとりし、そこからお互いを判断し合うノウハウと言える。

・クライアントは多くのWebサイトを見て、その中から何らかの判断によって、誰かに打診する。
・打診を受けた側は、何らかの判断によって、その仕事を受注するか否かを決める。
・単独では処理できない仕事の場合、受注した側は作業メンバーを募る。複数のメーリングリスト、Webサイト、SNS(例えばmixi)などの中で、どこに募集を出すかを決める。
・入力者は募集情報を見て、応募するか否かを決め、応募メールを出す。
・受注側は、応募メールを見て、誰に発注するかを決める。

 この流れは、私たちにとってはありふれたものだが、外部の人間には意外らしい。
「会わないんですか?」「会う場合もありますけど、電話さえしない、メールのやりとりだけの場合も多いですよ」
「心配じゃないですか?」「心配はさほどないです。メールの感触でかなりつかめますから。対クライアントにしろ、対・入力者にしろ」
「メールだけで?」「メールっていうのは結構その人のキャラクターが出ます。それに入力者同士は、普段からネット上で相手がどんな感じの人か知ってることが多いです」

 雑誌の編集者とか新聞記者など、普通のサラリーマンとはちょっと違う立場で仕事している人でさえ、この話にはなぜかいつも驚く。
 「普通の主婦に見える人たち(笑)が、そういう独自のノウハウを…! まさにネットワーク型社会の働き方ですね! 未来的ですね!」

 私たちが漠然と共有しているその技法というのは、ちゃんとまとめてみればすごいイノベーションなのだ、たぶん。(…と思うんだけど、どっぷり漬かってるから、そのノウハウを外部の人にわかるような明快な形にできないんだなあ。以前、本の企画として売り込んだことがあるんだけど失敗したの…)

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ザイニュー再開

 久々に『月刊在宅入力者』を再開することにした。今度は紙の雑誌ではなくWeb版。雑誌というほど多彩な記事は載せず、1カ月にお一人ずつ対談させていただくことにした。

 普通の雑誌では、2時間も取材した内容がたった1~2ページの掲載だったりする。取材音声のテープ起こしを担当する立場では、あとからその雑誌を読むと「あんな面白かったエピソードが載ってない、ああ、あれもない」、ページ数の制限があるとはいえ、もったいないと感じてしまう。その点、Webならページ数の制限というものがない。あまり強く編集しないで、話の流れをそのまま掲載することにした。だから同じ話題が、ちょっとずつ変化しながら何回も出てくる。
 5月は、Four D's代表の畔見知子(あぜみともこ)さんとの対談。さっそく明日からスタート!

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6月号予告

6月号の予告といったって、すでに6月11日。いつもながら我ながら、どういう進行なんだ。
えーと、Web版『月刊在宅入力者』6月号の対談は、ハンドルネーム文月さんが登場。連載開始は数日後になる予定です。なぜ数日後かというと、今、原稿チェックをお願いしているんだけど、実はテープ起こしの仕事もお願いしてるので。当然ながらテープ起こしのほうを優先でありまして…。

…と、この記事を書いている間に、もう原稿が納品されてきた。納期は明日の夜だっていうのに、相変わらずのスピード。このスピードの理由は、タイピングが速いからか? 高級ヘッドホンを使ってて一発で聞き取れるのか? 単に長い時間作業してるのか? 表記を丸暗記してるのか?
お楽しみに!

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ライバルだけど仲間

 少女マンガ『愛のアランフェス』を買った。何十年ぶりに読んで、印象的だったのはフィギュアスケートの美しさや華々しい恋愛模様のことではなく、「ライバルだけど仲間」というスケーターたちの人間関係だった。

 同業者だからわかりあえる。
 例えば私が彼らの誰かと友達になって、「きれい、すごいジャンプ! 怖くない?」なんて言っても、どうもそれは素人の発言だ。
 逆に、彼らの誰かが私の入力を見て、「速い! 10本の指を全部使うんだね」なんて言ってくれても、入力者として「指を10本使う」ぐらいは初歩の初歩で、その上に何をどう積み上げていくかが勝負なのだ。

 スケーターはスケーター同士、激しく競うけれども深いところまでわかりあえる。
 入力者は、点数がつくような競技はしないから目立たないだけで、やっぱりライバル同士なのだ。6月のザイニュー交流会には、同じ募集情報に応募して落ちた人と採用された人が参加していた。仕事を頼むライバルというのもあって、私がBさんに頼めば、その間AさんはBさんに頼めない。
 そういう単純な意味でのライバル関係以外に、誰かがユニークな仕事をしていると聞けば「私も頑張らなきゃ」と思うし、面白いソフトを使っていると聞けば「研究してるんだなあ、私も見てみよう」と刺激を受ける。
 ライバル関係がある反面、入力者は普段ひとりで仕事をしている分、仲間に会うととめどなくしゃべる。ほかの業界の人が聞いても??な、やたらマニアックな話題に熱中する。身近にはそういう話をする人がいないんだもの…。

 本当は、ザイニュー交流会レポートもこのブログに連載するつもりだったのだが、このところ具合が悪くて…最初は自分でもどうしたのかわからなかったが、要するに夏ばてだった。今年の7月はわりと涼しいのに情けない。7月の交流会では、朝からだるくて支度が遅れ、遅刻したという…。
 なので交流会レポートは残念ながら中止。8月は交流会自体をお休みして、次回開催は9月の予定。レポートはやっぱり出せないと思うので、ぜひご参加くださいね!

 明日からはようやく7月号の対談、卓也ママさんの登場。お楽しみに。

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