2008年4月 奥山睦さん

奥山睦さん1

(2008年4月の連載を再構成したものです)

在宅ワーカーの相談に乗ってくれる人

 私が今悩んでいるのは、大きく言えば「在宅ワークとは何か」ということなのかもしれない。
 だから、在宅ワーカー仲間に相談するのはちょっと違うような気がした。同じ穴に落ちて、一緒にぐるぐる消耗してしまいそう。
 在宅ワーカーではない人。かといって、在宅ワークのことを全然知らない人にはわかってもらえないだろう。それで、会社経営者であり、キャリア・コンサルタントであり、在宅ワークセミナーのコーディネートなどもされる奥山睦さんに相談してみようと思った。

 今回の連載記事後半で出てくるが、奥山さんがキャリア・コンサルタントの資格を取った動機の一つは、自社で仕事を発注している在宅ワーカーさんから、しばしばキャリア相談を受けたためだという。やっぱり!という感じ。なんだか相談したくなる方なのだ。

 「在宅ワークとは何か」を考えるとっかかりの一つとして、私は昨年から法政大学の経済学部(通信制)に籍を置いている。奥山さんは法政の大学院にこの4月から入学された。
 なんとなく「同窓」意識を感じかけたのだけど、ずうずうしかった。学部と院の差どころではない、なんったって奥山さんは、一方ではこの4月から静岡大学大学院の客員教授にもなられたのだから。

 学ぶことと教えることの同時進行、育てられる自分と育てる自分の同時進行あるいは時差進行。今回の相談で私が感銘や影響を受けたのは、奥山さんのその姿勢だと思う。

回答者の自己紹介

奥山 睦(おくやま むつみ)

 出版物、WEBサイトの企画制作を主とする株式会社ウイル代表取締役。
 東京都大田区の女性企業家ネットワーク「TES」(テス)有志の共同出資によって設立した、ITコンサルティング会社の株式会社イーテス取締役。

 東京・大田区で数々の地域活性化のためのプランニングや審議会、協議会の委員を歴任し、2004年、大田区から「特別功労者」表彰。
 専門的なITスキルと異業種交流会活動、キャリア・コンサルタントとしての経験により、IT活用、再就職支援、起業家支援、地域活性化、ワークライフバランス等をテーマに全国で講演活動も行なっている。

 著書に、『職人の作り方』(毎日コミュニケーションズ)、『大田区スタイル』(アスキー)、『メイド・イン・大田区』(サイビズ)、『在宅ワークハンドブック』(社会経済生産性本部)、『SOHO受発注トラブル事例集』(社会経済生産性本部)等。
 現在、法政大学大学院政策創造研究科政策創造専攻修士課程に在籍。

静岡大学大学院工学研究科客員教授
独立行政法人中小企業基盤整備機構経営支援アドバイザー
財団法人社会経済生産性本部認定キャリア・コンサルタント

二重の行き詰まりに悩む

廿●今いろいろ行き詰まっていまして。99年1月から在宅ワークを始めてもう丸9年、10年目なんですけど、実はそろそろ人としゃべりたくなったんです。
 自宅で一人でやってるし、私が仕事をお願いしてる方は地方に多いんです。だからメンバーとしゃべることもできないし。子供が小さいときはいい働き方だと思ったんですけど。

奥山●お子さんが小さいときは勤めきれなくて在宅ワークに入っても、お子さんが大きくなってくるとことさら家にいる必要もない。7、8年たつと派遣やパートに出たりする在宅ワーカーの方って多いですよね。
 だから、在宅ワーカーが何年かたって人と話したくなるっていうのは、すごく自然な流れのような気がします。

廿●そうなったときに方向は2つあって。1つはパートなり派遣なりで雇われることですよね。もう1つは自分が会社を作っちゃう。

 ここは理屈が飛躍しているのでちょっと補足。
 自宅のリビングルームで「うう、何これ、どうしよう」とつぶやいても、返事をしてくれる人がいない。丸9年、そういう仕事形態でやってきた。最近、「どうしたの?」と反応してくれる人が欲しくてしょうがない。

 そのための方法1が、外へ雇われて、人がいる場所で働くこと。方法2は、四月堂に常勤で誰かがいる状況を作ること。それにはオフィスが必要で(リビングにこれ以上パソコンデスクは入らない)、オフィスを借りたり人を雇ったりするには、会社にしたほうがいいような気がする、というわけ。
 返事してくれる人が欲しいなんて理由で会社を作るのは甘すぎる。自分でも、それはわかっている…。

廿●しかも、下の子が小学校に入って以来(すでに小4)、保育園の送り迎えっていう最低限の運動もなくなっちゃったんです。家でじっとしている生活で、年齢のせいもあるんでしょうけど肩こりがひどくて、何時間も集中して入力することができなくなっちゃって。
 だから、在宅ワーカーとしてだけではなくて、入力者としても行き詰まった感じがするんですよ。
 スパッとやめて別の仕事で外へ出ちゃうか、あるいはこの路線のまま、自分が入力しなくても済むように会社化して一回り大きくするか…。

過去の経験がなくても今勉強すれば

廿●それと、在宅ワーク関係の講師をするとき迷うのは、誰でもできるようなことを言ってお勧めしちゃっているけれども、経験のない人がやっていけるんだろうか、軌道に乗せていけるものなんだろうかと。

奥山●ああ、なるほど。

廿●私、在宅ワークを志して一度挫折してるんですね。仕事に結びつかなくて。経験がない、赤ん坊を抱えて身動き取れない、仕事時間もちょっとしか取れない、知識がない…。でも、セミナーにはそういう人も結構みえるでしょう。

奥山●そういう人が大半ですよね。

廿●私はあきらめて、子供を預けて無理やりパートに出たわけです。パート先がたまたま入力会社だったので、私はそこでいろんな経験を積むことができて、そこからは入力系の在宅ワーカーとして仕事を軌道に乗せることができた。
 だから私の疑問っていうのは、そういう経験を持ってない人がやっていけるものだろうか。

奥山●たしかにそれはありますね。でもね、例えば私の知り合いの女性が、在宅の社員なんです。

廿●在宅勤務で、正社員?

奥山●そう、出産4、5年後から在宅ワーカーとして働き始めて、5年ぐらいフリーでやった後に完全在宅勤務の正社員として採用されたわけです。彼女なんて大学卒業してすぐ結婚しちゃったから、就職歴はまったくないんですよ。在宅ワーカーとして自分でコツコツ勉強して。

廿●偉いなあ。その方はどういうお仕事をされているんですか?

奥山●マーケティングリサーチ関係ですね。自分がリサーチャーだった時期を経て、数人のリサーチャーを管理するマネジメントの仕事になって。Webのコンテンツの記事を書いたりとか仕事の幅も広げて、今はマーケティングの会社で、在宅勤務の正社員としてリサーチャー的な仕事をしているわけです。

 そういえば、入力会社に勤めていたころ、やっぱり結婚が早くて仕事経験がないのにものすごく優秀な入力者がいた。入力は早いし、仕様のポイントを的確につかむ人で、あっという間にほかの入力者のチェックまでやってくれるようになった。
 勉強の仕方や仕事との付き合い方を知っていて、経験がなくても自力で取り組んでいける人というのは、たしかにいる。

在宅ワークの中で何をやりたいのか

奥山●結局ね、私もいつも言ってるんだけど、在宅ワークという職種はありませんと。

廿●そういうことか…。

奥山●働き方の一つの形態であって、正社員・パートと同じように在宅ワークという働き方の形態であって。その在宅ワークの中であなたは何をやりたいんですか?というところの、自分を見つけてない人が、セミナーなどにはやっぱり多いですよね。

廿●そういう意味では、在宅ワークの内容が外から見えにくいのがよくないのかな。

奥山●入口だけいろいろかじってもいいと思うんですよ。自分が何をやりたいのか見つからないときは、やっていくうちに好きになることもありますから。

廿●やりたい仕事を見つける。それと、向き不向きが…、向いているっていう言い方は大ざっぱですけど、向いている人っていますよね。

奥山●私もたくさん在宅ワーカーを見てきましたけど、在宅ワークで成功している方の行動特性ってあるんですよね。
 みんな、人間関係を密にとることが上手。在宅ワーカーでありながら外に出ることをいとわない。あと、人をまとめるのがうまい。ワークグループみたいなものを、自分がリーダーシップをとってまとめるのがうまい。

廿●案外そういう人は、在宅ワークと言いつつ家でじっとしているわけではないですよね。

奥山●そうですね。あと、自分ができないとき頼める人がいるという形で、リスク回避をうまくやっている。そのための布石として常日頃からリーダーシップをとって、自分でオフ会やイベントを企画したり。
 それに、やっぱり感度がいいですよね。次に何が流行るかとか、今何が技術的に主流になってるんだとか、そういう情報収集が上手なタイプが多い気がします。

 一応補足。この成功する在宅ワーカーの行動特性は、どちらかといえば「独立型」の在宅ワーカーに当てはまる。成功する「登録型」の在宅ワーカーの行動特性というのは、少し違うかも。

社長がいろいろやらせてくれた

廿●学生時代とかから、いずれは会社を作ろうと思ってらしたんですか?

奥山●全然! 大学時代の私なんて、自分が働くこと自体考えてなかったんですよ。結婚したかった人がいて、卒業したらすぐ結婚しようと思ってたんです。でも失恋してしまって。

廿●うっ…。

奥山●それで途方にくれて、1年ぐらい父親の会社でアルバイトさせてもらったんですね。父は弁護士で、私は書類を入力したり裁判所に書類を届けに行ったり、いわゆる事務です。

廿●弁護士さんを自営業と言っていいかはわからないけれども、お父さんが勤め人の方ではない、そういう家庭環境は影響していますか?

奥山●影響しています。祖父が製造業の会社経営者だし、父は弁護士だし、母は画家だし。

 会社を起こすにしろ在宅ワーク形式でやるにしろ、自営でやっている人は、もともと身近に自営業の人がいたというケースが結構多いような気がする。

奥山●私は美大の油絵科出身なんです。父の会社を出てから最初に就職したのは編集プロダクションで、当然デザイナーとして採用されたんです。でも社長が、お前はしゃべれるから営業もやってみろ、文章も書けそうだからコピーを書いてみろとか、いろんなことをやらせてくれた。
 おかげで、3年ぐらいで仕事が一通りできるようになったんです。企画書書いて、営業に行って、台割(だいわり)を作って、執筆して、レイアウトまで全部。

廿●うわー、すごい!

奥山●それで今度は、映像の販売促進をするベンチャー企業に転職したんです。そこで企画を立てる面白さに目覚めたことも、今につながっています。
 その次は映像の作り手に回りたくて、また転職してテレビ番組も制作している企画会社に。

 この仕事はクリアしたから次はこれに転職、と積極的にキャリアを積み上げてきた奥山さん。ところが、今度の会社で大ピンチに陥る…。

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奥山睦さん2

いつまで兵隊やってるんだ

廿●テレビ系は長時間労働だしハードだって聞きますけど。

奥山●そうなんです。8カ月間、一日も休みなしってときがあったんですね。海外ロケも多かったので、身体が常に時差ぼけ状態で累積疲労がたまっていた。そしたら、浜崎あゆみと同じ突発性難聴になって、半年間右耳が聞こえなくなっちゃったんです。

廿●聞こえるようになったんですか?

奥山●今は聞こえますけど、ちょっと右が聞き取りにくいかな。そのときに、働き方を考えちゃった。
 初めて有給休暇をもらって、1週間ぐらい自宅に戻ったんですね。「これからどうするか考えてるんだけど」と父親に言ったら、「お前いつまで兵隊やってるんだ。どうせやるんだったら将校になって仕事をしろ」。

廿●おおー、カッコいい。

奥山●弱ってる娘にそういうことを言う父親っていないと思うんだけど(笑)。私自身は、それまで誰かに雇われることしか考えてなかった。

廿●普通の家庭なら、「もっと安定したところに勤めたら?」とか言いそうですよね。

奥山●ですよね。でもそれで目からうろこ、自分の会社を作ることにして、父親が弁護士でしたから登記の手続きとかは頼んだんです。会社に在籍中の3月14日に登記が完了、3月31日に辞めて、4月1日から営業。インターバルは一日もなし。

廿●そこで海外放浪とか入れそうなものじゃないですか。

奥山●会社をぶっちぎりで辞めちゃったものですから、まだ1クール13回というテレビの仕事が半年分残ってたんですね。それが終わるまでは委託契約という形で。まあ、仕事がある状態で会社をスタートできたので、恵まれた状況でした。

 こうして、「卒業したらすぐ結婚したい、働くなんて考えなかった」奥山さんは、ハードな仕事で実力をつける雇用期を経て、ついに会社経営者になった。

子育て期、仕事のアウトソーシングを試行錯誤

廿●奥山さんの会社は、デザイン会社なんですか?

奥山●編集プロダクションです。企画して、執筆して、DTPもやる。ただ、96年ぐらいからホームページの制作も始めたんです。Webのほうが98年ぐらいから多くなってきて、今の割合は、Webの制作が約7割、書籍系など紙媒体の制作が3割ぐらい。

廿●Web制作が時流に乗っていったわけですね。

奥山●出身が美大だからデザインしてると思われがちなんですけど、企画書書いたりレギュラーの執筆を持っていたり、私自身が今やっているのは、8割方書く仕事ですね。

廿●…意外。

奥山●デザインに関しては、私はお客さんと打ち合わせをして方向性を決め、そこからは社内に3人いる若手のデザイナーに任せています。社内のデザイナーだけでまかなえないときは、在宅ワーカーさんにお願いしています。

廿●ということは、社内には今何人?

奥山●デザイナー3人、事務が2人、それに私と夫。夫は一応役員になってるんです。

廿●もともと、どういうふうに会社を始められてるんですか?

奥山●起業したのは1990年、結構古いんですよ。パソコンもインターネットも全然普及してない時代ですね。起業した翌年に結婚、その次の年に出産。まだ保育園に延長保育の制度もないころで、仕事時間の調整がとても難しかった。
 その翌年、1994年ごろからパソコンやインターネットを使い始めたんですね。そうすると、データを移動させて残りの仕事は家でやろうという発想になったわけです。それがインターネット、パソコン、在宅ワーク…とかを意識し始めたきっかけですね。

廿●時代的にも、在宅ワークっていう動きが最初に起きたころですね。

奥山●そうです。ちょうどそのころが自分の子育て期と重なったんです。PRや書籍の編集の仕事をアウトソースする仕組みを作ろうと試行錯誤しながら、在宅ワーカーの方々と一緒に仕事をするようになったわけです。プレイングマネジャーをやるにしても、子供が小さいときは限界があるでしょう。

廿●ありますよね。

奥山●自分が動けない分、なんとかワークシェアして仕事をしていこうという、それがそもそもの発想です。

パソコンが普及してない

奥山●98年~99年ぐらいでしたっけね、SOHOブーム。あの当時は、パソコンって生活を劇的に変えるすごいものだっていう期待感があったと思うんですよね。

廿●パソコンを使えないと恥ずかしい、みたいな。うちの両親でさえパソコンを習いに行きましたから。
 でもこの前、大学で経営学演習のスクーリングがあったんです。グループごとにプレゼン資料作って発表するんですけど、メンバーの中の若い人たちはパソコンを使ってないんですよ。

奥山●え、なんで?

廿●ケータイがあるから、ケータイでメールができるから。

奥山●ああ、なるほど。むしろそうなのかもしれない。

廿●仕事をしている男の人が2人いて、私含めてその3人はパワーポイント(PPT)を使うんですけど、あと2人は「家にパソコンはあるけど使ってない」って。「PDFに変換して送るから」って言ったんですけど、添付ファイル送受信の経験がないし興味がない。資料作成は3名にお任せって感じだったんです。

 資料は、手書きでも簡単なワープロ打ちでもOKという演習だった。
 PPT以外プレゼン資料作成はありえない!とこだわった人(彼は営業職なのだ、たぶん)と、パソコン自体に縁遠い人たちのギャップは大きかった。私自身はPPTにさほど情熱がなくて、「ワードでざっと入力」を推したので、中間ぐらいの立場かな。

 でも今は、ふだんの講義でも講師がPPT資料を配布してほとんど板書しないことがある。学生はノートを取らなくてすみ、PPTを見ながら講師の話を聞き、ちょっと手書きで補足を記入するぐらいだ。
 行き届いた講師になると、自分のホームページにPPTファイルをまとめてアップしておいてくれる。だから講義を休んだ分は「誰かにノートを借りる」とかしなくても、ファイルをダウンロードして目を通しておけばいい。…パソコンが使えれば。

廿●かえってパソコンはあのころに比べて全然、普及すると思ったら普及しない。
 就業体験では、掲示板にログイン自体できなかった方がいたり、掲示板は毎日見に行くものだとか、自分が立てたスレッドじゃなくても「New!」ってマークがついていたら見るとか…を知らない方が結構いらっしゃったんです。テープ起こしの人が集まるメーリングリストを紹介するんですけど、メーリングリストが何か知らない人も結構いる。

奥山●一時期はなんでもメーリングリストになってたけど、今はそうでもないのかもしれないですね。

 巨大すぎる2ちゃんねるやmixiなど閉じたSNSを例外として、今はネット上の掲示板も少ない。掲示板になじみのない人がいるのも無理からぬこと。初回のセミナーで「掲示板とは何か」「掲示板の利用方法」などまでレクチャーするべきだったのか。私自身の反省点。だけど、ますますテープ起こし本体の話に時間が割けなくなる。

人生の正午は思い悩む時期

廿●というわけで、自分が人としゃべりたいのにどうしたらいいかっていうことと、講師系の仕事は好きだけど迷いが多いのと、2本立てで困ってるんです。

奥山●廿さん、今おいくつでしたっけ?

廿●43です。

奥山●ちょうどいろいろと迷う時期ではありますよね、40歳ぐらいから。

廿●そうなんですかね。

奥山●ユングがね、40歳は人生の正午だと。一日のサイクルでいうと、ちょうど正午の時で、そこで思い悩んだり迷ったりするというのは、実は当たり前の感情なんだというようなことを言っていますね。

廿●ああ…なるほど。女性の厄年は30代で終わっちゃうけど、男性の厄年は40ぐらいにありますよね。でも女性もそこらへんで、なんだかうまくいかない、いろいろなことが。

奥山●いろいろなことが変わってきますよね。自分の身体の細かい変化とか、子供がそれなりに大きくなってだんだん手が掛からなくなったりとか。

廿●逆に親の問題が出てきたり。今まで子供が小さくて、親っていうのは育児を助けてくれるものだと思っていたら。

奥山●そう、介護のほうが大変になってきたり。夫とかも、その近辺になると会社のポジションとかが、ある程度最終的にはこうなるかなっていうのが見えてきたりとか。変化していく時期ですから、40代前半っていろいろ考えますよね。

廿●奥山さんは、もうそこは脱出したという実感がおありになりますか?

奥山●そうですね。やっぱり一番の転機だったのは30代中盤ぐらいかな。子育ても苦しかったし、会社の経営も苦しかったし、いろんな意味で一番苦しかったですね。

廿●日本の景気が悪かったころですね。そうすると会社は楽じゃないわけですね。

奥山●契約が途中で突然打ち切られたりとか、大変でしたよ。数万円作るために、自分の服やバッグを質屋に入れて。社員を雇用していかなきゃいけませんからね。

廿●会社っていうのはそれが恐ろしいですよね。人を雇って家賃を払っているから。

奥山●あっという間に何百万っていう負債を抱えちゃいますね。

地域に救ってもらった

奥山●子供が2、3歳ぐらいになるころまでは、本当に苦しかったですね。会社の経営はうまくいかないし、夫の単身赴任があったり、毎日がどうしようと。私の場合、それを救ってくれたのが地域だったんですね。

廿●地域っていうと、仕事を発注してくれたりですか?

奥山●まず当面の運転資金が回らなくなった、どうしようっていうのがあって。バブル経済崩壊のとき、売上げが半減しちゃったんです。私自身はまだ子供が小さくて、当時延長保育もなかったですから、働ける時間も限られている。四面楚歌ですよね。
 銀行を回ったんですけど、まだ30代で若いし、女性経営者も当時少ないから信用がない。どこの都市銀行でも断られて、最後にたまたま、小規模事業主向けの融資制度があるっていう大田区報の記事を見て、相談窓口に行ったんです。うちの会社、前年まで赤字は出してなかったんですね。だから、事業計画書を見た担当者がこれなら大丈夫って言ってくれて、2週間ぐらいで融資が通ったんです。

廿●貸してくれたところは…。

奥山●地元の信金です。低金利で融資を受けられて、それでなんとか生きながらえたんです。そのときからかな、地域に目を向け始めたのは。私は地域に救ってもらったし、地域に役に立てることがあったら何かやっていきたいなと。

廿●じゃあ、今地域のお仕事をいろいろ引き受けていらっしゃるのは、そこからたどれるわけですね。

奥山●そうです、ルーツはそこです。

 地域に恩返しをと思ったら、思うだけですまさない、本当にやるのが奥山さんのすごいところで、大田区の審議会や協議会の委員を歴任し、大田区から「特別功労者」表彰を受けている。
 ご著書も『メイド・イン・大田区』『大田区スタイル』、そして今年3月の新刊も大田区を取り上げている(この本については連載後半で紹介)。

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奥山睦さん3

ここまで会社が続いてきたのは

奥山●助けてくださった女性経営者の先輩もいたんです。地元でスポーツクラブを開いていらした女性経営者の方のところに、ある冊子の取材でお邪魔したら、気に入ってくださって。私にお金がないのわかったんでしょうね。顧問料を振り込んであげるから、月一回ご飯を食べにきなさいって言ってくださったんです。
 もちろん、顧問料いただくような仕事は何もできませんってお断りしたんですけど、「愚痴を聞いてくれるだけでいいから」って。結局3年間お言葉に甘えたんです。
 その方、3年後に、「会社も安定してきたね、もうそろそろ私の役目はいいわよね」って。

廿●う、うわあ…。その方も地元の方でいらっしゃる?

奥山●地元の方です。ここまで会社が続いて、なんとかやってこられたのは、そういう方たちのおかげなんです。昨年86歳でご逝去されましたが。

廿●それだけ奥山さんにパワーがあるっていうことですけど、それにしても素晴らしいですね。

奥山●あとね、創業当時は3人で始めたんですね。大学時代の同級生と、デザイナーと、私と。2年目ぐらいで私が結婚して妊娠・出産となったとき、片腕だった同級生も国際結婚することになっちゃったんです。
 当然私は出産のために休まなければいけないし、その間どうやって仕事を回していったらいいんだろうととても不安だったんですけど、私が産前産後休んでいた半年間、彼女が単身でニューヨークから日本に戻ってきて、会社に寝泊まりして、仕事を切り盛りしてくれたんですよ。

廿●そうですか!

奥山●だからね、本当に生かされてきたんですよ。そういういろいろな人たちの出会いとか厚意がなかったら続いてないですね。

キャリア・コンサルタントって?

廿●キャリア・コンサルタントというのをやっていらっしゃるでしょう。実はキャリア・コンサルタントがどういうものかも知らないんですけど、それになられた経緯とかは。

奥山●うちから仕事をお願いしている在宅ワーカーの方たちとの関わりが大きかったかな。その方たちが会社に寄ってくれたとき、悩み事を相談されることがよくあったんですね。
 私は自分の経験でしか話せなかったんだけど、人のキャリアに向き合う場合には、それなりのセオリーや手法があるんじゃないかって感じるようになったんです。私自身も、キャリア・チェンジがそんなにうまく行かなかったと思ってますしね。

廿●そうなんですか。

奥山●ええ、体力のギリギリまで働いて耳をおかしくするとか、そういうことがあったので。人とキャリアのいい関係を勉強してみたいと思って始めたのが、キャリアカウンセリングの勉強だったんですね。

廿●いつごろからですか?

奥山●4年ぐらい前ですかね。キャリア・カウンセリング(コンサルタント)の資格ができたのが、わずか6年ぐらい前ですから。新しいんですよ、日本ではまだ。

廿●国家資格なんですか?

奥山●今年から、キャリア・コンサルティング技能士という名称で国家検定の資格になるようです。今まではいくつかの民間団体が付与していて、私は社会経済生産性本部の認定資格を取ったんです。

廿●一般的にはどういうところで役立つ資格なんですか?

奥山●ハローワークとか、大学とか。

廿●ああ、大学の就職担当セクションで。

奥山●そうです。私は、資格を取る前に武蔵野大学のキャリア・アドバイザーとして、3年ぐらい就職指導などをしてたんです。そのあとに非常勤講師になったので、大学生のキャリアに関わる機会が計5年ぐらいあったんです。それもキャリアのことを勉強したいという動機になりましたね。

廿●じゃあ、仕事のほうが先にあったわけですね。

奥山●そうですね、導かれるように取ったというか。そろそろ体系的に勉強して、自分の経験論だけじゃなくて、しっかりしたロジックを持って人にアドバイスできるようになりたいなと、それがそもそものきっかけですね。

キャリアのミスマッチ

廿●2月に東京しごとセンターでやってらした「在宅ワーク・再就職のためのカウンセリングコース」は、1対1で面談するんですか?

奥山●グループカウンセリングです。あのときはカウンセラーさんが6名いて、5、6人の小グループでいろいろと話し合って。一人一人自己紹介をし、印象交換をしあったり。

廿●印象交換って何ですか?

奥山●人が見た自分の印象を語ってもらうこと。自分が思っている自分との差異を埋めるということで、印象交換というのをやるんですね。あとは、半年後どうなっていると思いますかとか、自分のキャリア・ビジョンを書いてもらったりとか。カウンセラーによって、カウンセリングのやり方は違うんですけど。

廿●受講されるのは積極的な方が多いんですか?

奥山●そうでもないです。客観的に自分を見てもらいたいと思う人かな。
 人とキャリアはやっぱり深いですよね。キャリアのミスマッチ…自分のやりたい仕事と実際に就いている仕事がかけ離れたりすると、それがどんなにいいポジションであろうと気持ちが離れていきますから。夫がそうだったんです(笑)。

廿●お勤めされてたんでしょう? あんまり気の進まないお仕事に就いていらした…?

奥山●大手食品会社にいて、辞める前にはグループ会社の執行役員までいってたんです。でも、自分で将来が見えてしまったって、辞めちゃったんですよ。いろいろな意味で、ずいぶん苦しんでましたね。1年ぐらい苦しんでいましたけど、なんとか拾ってくれたところがあって。

廿●本当は安泰ではあるんでしょう、元の会社にいれば。

奥山●ええ、家庭だって安泰だったはずです! 1年も無職の夫を抱えて、私はホントに大変でしたよ(笑)。

 キャリアのミスマッチ。私の今の状態はそれなのだろうか。入力者としての集中力は落ちてきたけど、入力が嫌いになったわけではない。ただし、入力って単線的な仕事だなとは思う。
 紙の雑誌の『月刊在宅入力者』を出していたころ、私は一人で取材も執筆もWord-DTPも購読者管理もしていた。月1回の発送作業だけは大勢来てもらって楽しかった。毎号1,000部以上売れて、手応えがあった。
 そうか、今私が求めているのは、ああいう複合的な仕事なのかもしれない。

試練は乗り越えられる!(…はず)

奥山●キャリア・コンサルタントは天職だって感じます。普段は書く仕事が多いですから、1対1で人と話すことがまず新鮮ですし。人の魂に手を突っ込むぐらいの気持ちがないとできないので、終わったあとくたくたになっちゃうんですけど、充実感がある。相手が変わっていきますからね。特に学生のコンサルティングでは。

廿●それは、彼らが就職活動をしているまっただ中の時期なんですか?

奥山●いや、私が担当していたのは3年生でした。1対1で対面でコンサルして、それを月1回ぐらい続けていくんですね。半年たつと、劇的に意識が変わっていくのが手に取るようにわかるんです。おこがましいかもしれないけど、育てている感じがあるんですよ。

廿●いいお仕事なんですね。うちは長女が不登校なもので、長女も私もカウンセリングに通ってるんですけど、つらかったときはあれでずいぶん救われました。

奥山●そうですよね。私も十数年つきあっている臨床心理士の友人がいて、彼女にもすごく支えてもらいました。会社が不安定だし、子供は小さくて手が掛かる時期だし、1カ月に1回ぐらいカウンセリングを受けてたんですね。3年ぐらい受けてたかな。
 それでカウンセリングの素晴らしさを自分自身が体験していたので、自分がある程度の年齢になったら、人に返していきたいなという気持ちもあったから、キャリア・コンサルタントをやり始めたんです。

廿●いろいろなものがつながってらっしゃるわけですね。

奥山●そうですね。偶然なんですけど、「偶然」ってその人の意識とか行動によって「必然」になるので。私はたぶん、招かれてそうなっていったという気持ちは強いんですね。試練はそれなりにあったんだけど、神様は乗り越えられないほどの試練は与えなかった。

廿●それ、よく聞きますけどホントかなーというのが、今の気分です(笑)。

奥山●私も当時はどっぷりで、とてもそうは思えませんでしたけど。振り返ると、そんな感じがしますね。

廿●今が一番安定してらっしゃるという感じですか?

奥山●そうですね、今は経営的に年間の数字が見えてるので。うちは、シンクタンクを通して行政系の仕事をいただくことが多いんです。だから年度初めにほとんど年間の仕事が決まっちゃうんです。ありがたいことなんですよ。

廿●うらやましすぎる…。

1人とチーム、それぞれのリスクとメリット

廿●やっぱり雇われに行くかなあ。私には会社を経営するのは無理っぽいです。

奥山●会社の起こし方もいろいろありますよね。1人でやるか、従業員を雇ってやるかによっても、たぶんリスクは違うと思うんです。
 人を雇ってる場合は、金銭的にリスクは多いけど、自分に何かあったとき代替でやってくれる人がいる安心感はありますね。ある程度の規模の仕事が来ても請けられるし。
 1人だと、健康管理とか、仕事が重なったときにどうするかっていうリスクがありますから、そのへんのところですね。

廿●このところ義父のことなどあったので、1人でやるリスクは痛感してます…。

奥山●私は3人でスタートしたんですね。1人でやろうっていう気は最初からなかったので。

廿●あ、そうなんですか。

奥山●もともと編集とか映像制作の仕事って、たくさんのプロフェッショナルな人がコラボレーションして一つのものができますよね。
 だからチームで仕事をするということには一切抵抗がなかった。逆に、そうじゃないとできないという気持ち。チームでないとできないという気持ちがあったんですね。

廿●でも現実には、フリーランスの編集者、ライター、カメラマンさんとか大勢いますよね。そういう形態ではなく、最初からチームを結成しようと。

奥山●そうですね、自分だけの才能で勝負するよりは。それと、私は発想的に自分が裏方、黒子なんですよ。自分たちが作ったコンテンツであり作品であっても、そこに自分の名前が出る必要はない。

廿●ああ、なるほど。

 私がライターでありテープ起こしもできると言ったところで、例えば編集プロダクションを営めるほど本づくり工程全体の知識や経験があるわけではない。紙の雑誌だったころの『月刊在宅入力者』は、自主制作のミニコミ誌だから我流でOKだっただけ。
 だから、会社化するとすれば、例えばテープ起こしの請負量を単純に今より増やすということになる。その場合、私に必要なのはアシスタントであって、違う分野の専門家がコラボするようなチームは作れない。

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奥山睦さん4

ゆるやかに長く続く関係

廿●会社は無理としても、でもやっぱり人としゃべりたい。今仕事を頼んでいるのはみんないい方なんですけど、会ったことがない、顔も声も知らない方も多い。私はすごくその方たちに感謝してるんだけど、現実に何もしてあげられないし。

 毎年、年末にせめてキャラメル1箱でもいいから贈る、とも考えたんだけど。わが子用クリスマスプレゼントもなんと23日にあせって買いに行くような、行き届かない私だから、なかなか。

奥山●たまたま私の場合は、まわりにいた在宅ワーカーの方で、例えば卓也ママさんとかリーダー張れる人がいて、人が遠いところから集まるんですね。
 だからいまだに新年会と忘年会やってますよ。しかも東京圏だけじゃなくて静岡のほうとか、みんなで長野まで行ったりとか、そんなのをずいぶん長くやってますね。

廿●それはいいですねえ!

奥山●ゆるやかな関係じゃないと長く続かないかなという気もするんです。あんまり縛っていくとお互いにつらくなっちゃうから、ゆるやかにつながっていける、必要なときに力を貸していくという。

廿●このシリーズでお話を聞きに行くたびに、いつも今日は勉強になるなあと思って帰ってくるんですけど、今日もとっても勉強になります。
 私の当面の悩みを相談できる人があんまりまわりにいなくて、こういうことを相談できる人ってきっと奥山さんだなと思ってたんです。

奥山●うん、よく在宅ワーカーの方の相談に乗ってますね、私。
 仕事で地方に行くことが多いじゃないですか、そういうときその周辺の在宅ワーカーさんを呼んで、夜一緒にご飯食べたりとか。そういうの嫌いじゃないので、まめに情報交換したり、相談に乗ったりしてます。

違う出口に光が見えるかも

廿●仕事お願いしている方との懇親会もしたいんですけど、データ入力系は単価が低いから費用が出せない。それも納得いかないところなんですよね。
 データ入力って、コピー機的な仕事じゃないですか。コピー機はA4の紙1枚10円。そうするとデータ入力は、この先もっと安くなっていくかもと思うんです。
 でも、それに携わる個人はちゃんと報われるべきで、現状はひどいなあ…と思うと、この仕事を勧めるのがますますおっくうになる。

 100円ショップでアルバイトしても、時給100円なわけではない。安いものを扱ってもそれなりに待遇できるシステムは必要なはずだ。

廿●私自身は極端に低単価な仕事はしませんけど、みんなで遠出をする予算が取れるほど儲かる見込みはなくて。

奥山●今、相場ってどれぐらいなんですか?

廿●普通の名簿データ、郵便番号からずーっと会社名、部署名、役職名、メールアドレスやURLまで打つと、1件平均200字ぐらいあるはずなんです。

奥山●ありますね。

廿●本当は200円ぐらい欲しいところじゃないですか(名簿系はあまりやらないし、金額的にもそんなにもらったことないけど)。それが在宅ワーカーに出す段階で**円とか、狂ったものを見かけるんですよね。1文字単価が0.1円をぜんっぜん割っているような。

奥山●う、うわっ…。それはひどいですね。

廿●お金を払ってでもまず経験を積むべきだと、昔は言ってきたんですけど。そこを脱出できる見込みがなかったらどうしよう。この仕事は面白いって勧めていいんだろうか。

奥山●うん、でも、あとは考え方一つだと思うんですよね。例えば、0.1円を切る仕事は入口かもしれない。もしかしたら出口は違うところにあるかもしれない。

廿●あ、なるほど!

奥山●そこが出口だと思っていると、勧められないし、つらい。でも、その入口から入って違う扉を開いたり、違う出口に光が見えてきたりするかもしれないですよね。

廿●それはいい考え方だ…。今、そう伺って私の気持ちにも出口になりました。

奥山●それに、時代と共に仕事も変わってきますからね。

横請けネットワークのパワー

 今回と次回は、3月に出たばかりの奥山さんのご著書『職人の作り方 ものづくり日本を支える大田区の「ひとづくり」』 マイコミ新書 をめぐって。

廿●私がお願いしているのは遠方の方が多いから、かえって地域密着っていうものに興味があるんです。今回のご本もすごくいいなあと思って。

奥山●私の場合は育児があったので遠くまで出られなかったし、夜出かけることもできなかった。そうすると、すぐ行けて、会えて、話せるっていう地域が最高なんですよね。見渡すとこの大田区って意外に広い地域で、仕事もそれなりにあって面白いなと。

廿●大田区にお住まいなんですか?

奥山●住まいは品川区です。独身時代に新宿区で会社を作ったんですけど、夫が大田区にいたので結婚で大田区に移転してきて、以来ずっと事業所は大田区です。

廿●大田区は、東京としては独特ですよね。

奥山●ええ、独特な地域特性を持っているので、この面白さを伝えていけたらという思いがあるんです。

廿●ご本の中に、「横請けネットワーク」って言葉が出てましたでしょう。あれは具体的にはどういう状態なんですか?

奥山●大田区の製造業は、専門会社が密集してるんですよ。金型だけ、旋盤だけ、磨きだけ、とか。
 彼らがクライアントから仕事を請けるときは「何でもできます」とまず言うんですね。例えば金型屋さんが仕事を請けるんですけど、まわりに小さい専門会社が密集してるから、全部できるってことにして、みんなに振るんです。

廿●ああ、なるほど。横請けというのは、下請けではないんですね。量が多くて自分のところで全部できないから下請けに出すっていうよりは、工程別に。

奥山●そう、工程別のプロフェッショナルに振っていくんですね。最終的に一つの製品にして納品するわけです。

廿●距離が近いからできることですね。

奥山●たしかにそうかもしれない。この地域でインターネットがなかなか普及しなかった理由は、自転車でまわれる距離にみんないるから。メール書くより、自転車で行って「お願いね!」って図面渡すほうが早いですから。

ご近所マニュファクチュア

廿●西武新宿線の中井とか下落合あたりは、川沿いに染色の工房がまとまっているところなんですけど。

奥山●そうですよね。

廿●私、大学を中退して手描友禅の工房に入ったんです。

奥山●え、それは知らなかった。なんでまた…職人になりたかったんですか?

廿●自分のことを、半分わかっていて半分わかってなかった。
 座り込んで黙々とやる仕事がやりたかったんです。それは職人系だろうと思って。大学は好きじゃなかったし、着物は好きだったし、たまたま新聞に求人が出ていた工房に飛び込んじゃったんです。でも根本的に間違っていたのは、私は、手が不器用。

奥山●うはは…、実は職人向きじゃなかった(笑)。

廿●そうなんです。入力は手を動かすけど、タイピング自体は物を作らないでしょう。手を動かして物を作るのは全然だめ、お料理とかもヘタだし。
 染色は最後のほうの工程で糊を洗い流す、いわゆる友禅流しがあるから、昔はその工程は川沿いに立地しないとだめだった。だからほかの工程の人たちも川の近くに住んで、お互い自転車でまわれる距離なんです。だから、大田区のその感じは、お聞きしてみると想像がつくし、好きな感じです。

奥山●マニュファクチュアの世界ですよね。家族と親戚が社員になってるような小さい会社がいっぱいあって、そういう人たちが日本の輸出を支え、外貨を稼ぎ、それで経済を回している。

廿●大田区は、大学(過去に中退したほうじゃなく、今行っている大学)の演習で調べたんですけど、独特の地域だと感じました。商業とか観光に力を入れている気配が全くなくて(笑)。

 そりゃあ大田区は世界に誇るウルトラ町工場地帯ではあるけど、実は羽田空港を擁する「交通の要」だし、温泉も出るというし、池上本門寺もあるし。やろうと思えば商業や観光だってできなくはないはずなのだ。

奥山●たしかに…。行政の施策も工業オンリーに近いですからね。

廿●その演習で競合地域の動向も調べたんですけど、大田区の商業系の指標は、隣の品川区に負けまくっている。

奥山●もちろん負けてます!(笑)

在宅ワークとテレワーク

廿●今、仕事は組織でやっていく時代になっていますでしょう。組織化して大きくしたほうが強いと思うんですよ。大企業でもさらに合併しますよね。農業とか個人商店とかは、家族でやってて、経営規模が小さいから動きが取れない。
 小ささのデメリットを突破できる方法が地域でまとまることだとすると、私みたいに遠方の人に仕事をお願いしていてつながりにくい場合はどうしたらいいんだろう、何か活路はあるんだろうか。今すごく迷っているところなんです。
 今からでも地域密着に切り替えたほうがいいのか。そうすると私は「地方でもできますよ!」とか言っているのに、それは矛盾してるんじゃないかとか。

奥山●でも、テレワークってもともと、遠隔地でも情報通信機器があれば仕事はできる、それがメリットだってうたっているはずなんです。地域密着というのはたしかに便利だけど、それは別にテレワークでやる必要はない。

廿●そうですよね。だって自転車で行けるんだから。

奥山●テレワークでやるんだったらテレワークなりのことができると思いますよ。
 だって、1996年に初めて在宅ワーカーの方に仕事を出した時期は、あえて私、遠方の方に出したんですもの。アメリカの方、九州や北海道の方とかに。

廿●え、なぜですか?

奥山●地域間格差というのを埋められるんじゃないかなと思って。実力が伯仲してるんだったらあえて遠方の方にお願いしてました。だって、それがテレワークの良さなんだから。
 Webサイトの定期更新なんか地域性は関係ないですから、お願いしている在宅ワーカーさんはいまだに遠い方が多いですよ。それがテレワークの良さなんじゃないでしょうかね。切り分けて考えたほうがいいと思うんですね。

廿●そうか、テレワーク…。

 つまり、私の仕事形態には2つの側面がある。在宅ワークであり、テレワーク。
 在宅ワークは漠然とIT系業種を指すことが多い。でも、例えば自宅で教える茶道の先生のように、自宅仕事の種類はたくさんある。
 テレワークというのは、情報通信機器を駆使して、距離の問題なんか乗り越えて…という仕事形態。奥山さんがおっしゃった「テレワークでやるんだったらテレワークなりのことができると思いますよ」という言葉を、デスクに貼っておこうかしら。

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奥山睦さん5

在宅ワークでWLBを実現

廿●在宅ワークがどうのと文句ばかり言っていますけど、今回、義父の病気でばたばたしたとき、本当に在宅ワークでよかったと感じたんです。特に主婦にはお勧めの働き方だと思いました。

奥山●今どきの言葉で言うと、ワークライフバランスですよね。それを実現しやすいというか、実現することを目標にできる働き方の一つであることは間違いないと思うんです。
 そのためのツールとしてパソコンやインターネットがあって、遠隔地であるとか障害の有無だとかを超えられる。この働き方は素晴らしいと思うんです。最初に関わったころから、その思いは全く変わってないですね。

廿●そうですか…、なんで私は数年おきにそこが揺らぐんだろう。

奥山●在宅ワークはね、何らかの制約があって就労環境が厳しい方たちにとって、福音であることは間違いないんですよ。
 ただ、やり方、姿勢、方向性、手法などを間違えると、つまらないものになってしまう。それは、廿さんみたいなロールモデルが道をつくっていけば大丈夫だと思うんですよ。

廿●う、うーん…。悩みも含めてのロールモデルというか。ライフステージのいろいろな出来事を10年近く在宅で経験してきたわけだから、そういう意味ではロールモデルにはなりえるかもしれませんけど。

 ロールモデルには「お手本」みたいな響きがあるから、むしろ「ケーススタディ」かな。反面教材としても使えそう。

奥山●でしょう? ただ、悩むことも含めて受け入れてしまったら楽ですよ。悩むのは当たり前なんです。何年かやってきたところで、これからどうしようって悩むのは普通のことだから。

廿●そうか…。

奥山●みんな探していると思うんですよ。私だって探しているし。技術革新は早いし、時代の潮流を見る力も養っていかなければいけないし。いろんな要素があって、自分の方向性ってなかなか決められないと思うんです。むしろ、決めたら危険ですよ。

廿●そうですよね。10年後にどうしていたいか考えましょう、とかよく言われますけど、「いや、10年後にどんな仕事があるかわからない」と私は思うんです。

奥山●たしかに。10年後にどうなっているかっていうよりも、思い描いていた自分の姿に近づけているかどうかです。


メンターの存在に気がつく感性

奥山●大事なのは、自分にとってのメンターを見つけることですね。メンターの存在に気がつく感性を養うというか。私もそうだったように、みんな誰かに育てられてきてるんですよ。たぶん、廿さんもたくさんの人を育ててきたと思うんです。

廿●育ててきたかどうかはわからない…。育ててくれた人は、すぐ何人か挙げられるけど。

奥山●育ての連鎖だと思うんです。自分が育てられたことをまた返していけば、絶対人は育っていくんだから。奇しくも今年は、私は大学院に入学する。一方では大学院で教える立場にもなるということで、たぶんこれが最後の役目かなと思ってるんですね。

廿●何がですか?

奥山●人を教えていくこと。

廿●究極の、というか。

奥山●うん。人生の後半に向かう時期、これからの10年はそれをやりなさいよっていう天命のような気がするんです。たぶん人って育てられる期間があって、ある程度成長すると、今度は自分が成長した分、人を育てていくという役割に入っていくんだと思うんです。
 私、卓也ママさんなんかにも育てられました、すごく。

廿●卓也ママさんは「奥山さんに育ててもらった、いろいろな仕事をやらせてもらった」っておっしゃってましたよ。

奥山●彼女は愛情深いんですよ。セミナーに参加者が少ないと、あちこち働きかけてくれた上に、自分がそのセミナーに出席までしてくれたりする。

廿●うわー。

奥山●彼女の気配りというか愛情の細やかさに、何度も助けられてきたんです。もう10年以上仕事をしてもらって、うちの社員さんより付き合いは長い。いい人に巡り会ってきました。

廿●いい人に巡り会ったとき、いい人だって見つける目も大事ですね。

奥山●見つけるっていうか、感謝できるってことかな。自分がありがとうっていう気持ちを持っていたら、相手にも伝わるはずなんですよね。
 すごくシンプルだけど、誠意と感謝だと思うんですよ。この2つだけ持っていれば絶対なんとかなる。

廿●崇高な結論でまとまりましたっ。ありがとうございました。


連載のあとに…1

(奥山睦さんからコメントをいただきました)

 廿さんとは、さまざまなセミナーで何度も顔を合わせていたのに、きちんとお話する機会が得られずにこれまできました。今回、取材の時間をとっていただいて、2時間近くもお話ができ、大変楽しいひとときを過ごさせていただきました。改めてこの場をお借りして御礼申し上げます。

 お話の中で、大学を中退し、再度、通信教育で学び始めたことや、染色の職人を目指していたこと、でも実は自分が不器用だったということに途中で気がついて、頓挫したことなど、意外な一面を知って、「これだから対面の話は面白い!」と痛感しました。

 1995年頃から、在宅ワークやSOHOが一種のブームになり、行政の支援策や支援施設ができたり、在宅ワーカー出身の起業家が続々と生まれたりと、過熱気味なブームが去って、確実に淘汰の時期を経てきました。現在、生き残っている在宅ワーカーの行動特性を探っていくと、「成功するための不文律」というのが見えてくるような気がします。

 廿さんも成功した在宅ワーカーの1人に間違いないと思いますが、それでも思い悩んだり、立ち止まったりする時期は必ずあるものです。でも、人間ってこの時期があって、それを越えようと必死にもがくからこそ、次に進めるのかもしれません。しかも一生懸命、もがいたり苦しんだりしている人の一途さって、本当に抱きしめてあげたいほど愛おしいと思うのです。

 私が好きな言葉に「過去と他人は変えられない。変えられるのは自分と未来だけである」というものがあります。
 現在、在宅ワークの入り口にいて、報酬面や条件面で悩んでいても、勉強を続け、顧客への誠意を示し、感謝の念をもって仕事を継続していくと、きっと光は見えてきます。そして試練は人を強く、優しくします。

 私はたくさんの人に助けられてようやく今、ここにいます。「育てられ、育てる」という連鎖が、この在宅ワークという世界にも定着していけば、きっと未来に続く素晴らしい就業形態になっていくのではないでしょうか。


連載のあとに…2

 法人化したほうがいいのかなという話題は、在宅ワーカー同士の会話にたまに出てくる。取引先との関係で困るというのが一般的な理由。「個人事業は社会的信用で劣るから、会社としか取引しない」と相手に言われてしまうわけだ。

 個人事業として法務局に商業登記して、取引先に「法律上は会社同等の信用があります」と説明する、というのが私のやり方。マイナーな制度だけど、一応、事業者としての登記簿謄本や印鑑証明書を取引先に提出できる。
 これで東証一部上場企業とも取引できているから、会社にするぞ!という気分になり切れない。

 だってねえ。自宅のリビングでやっていても会社であれば最低でも年7万円、今より税金がかかる。
 まして、「事業規模を広げよう」と事務所を借り、人を雇えば、仕事が突然切れても家賃と給料(+健康保険、厚生年金…)は払わなければならない。そのときの経営者の苦労は、4月17日の記事後半~18日の記事で語られている。

 在宅ワーカーから会社社長への変化は、なだらかな上り坂の途中にごく自然にあるのではない、と私は思う。国境があって、そこからは違う言葉・違う文化になる。在宅「ワーカー」という言葉自体が「作業者」を示していて、経営者の対極とも言える。
 さびしいから会社にしようか…なんて言ってる軟弱な私は、国境を踏み越えず、在宅ワークの国でやっていくほうが合っているかもしれない。

※法人化は「会社法人」とは限らない。主な発注者が役所と公的機関という土地(つまり多少田舎)では、NPO法人のほうが向くことがある。理由は、役所は非営利団体を好むから。
 私の地方の友人には、この理由でNPO法人化した人が何人かいる。団体が非営利でも、構成員がしかるべき報酬を受け取ることは問題ない。

連載のあとに…3

 キャリア・カウンセリングを受けてみたくなったという感想を、何人かの方からいただいた。そうそう、ぜひ受けてみてください。

 相談することは素晴らしい。何を相談しようかなと思ったとき、まず考えるし。どんな答えが返ってくるかな?と予想するとき考えるし(奥山さんの答えはどれも全然予想どおりでなかったので、かえって感激した)。もちろん、相談タイム自体が宝の山だし。
 しかも相談というのは、その後ずっと役立つのだ。今後、問題に直面したとき、奥山さんなら何とおっしゃるだろう?と考えるだろうから、それが自然にヒントになる。

 漠然と「行き詰まった…」と嘆いていたけれど、相談後は脳みそがすっきりして、具体的に調べたり検討したりできるようになった。パートや派遣で外へ出るならどんな仕事がいいかなと求人情報を見たり、逆に事務所を借りるほうを検討して家賃相場を調べてもみた。
 検討結果…今年はこの仕事形態を維持、来年あらためて考える。

 相談前と同じ? いやいや。相談しなければ、いつまでも「行き詰まった、行き詰まった」と騒いでいただろう。「今年は維持」という結論を出した理由はいくつかあるけど、書くと長くなるので省略。
 とにかく、今は自分の決断に納得できている。奥山さん、お忙しいところを本当にありがとうございました。

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