2008年1月 山本牧子さん

山本牧子さん1

(2008年1月の連載を再構成したものです)

整然とファイリングできる人

 今月登場してくださるのは山本牧子さん。義父にポックリ系事態が起きた場合は、就業体験セミナーのテープ起こし講師として代わりに行ってくださいます。

(1/11にお会いしたときICレコーダーを持っていなかったので、今回は会話形式の対談にはできない。思い出しつつ書いてみたい。事前に申し込んでの取材ではなく、当日の雑談。それと、いただいたメール内容など。)

 紙の雑誌だった頃の月刊在宅入力者第14号「特集 応募メール大添削」で、テープ起こし部門の応募メール審査員を牧子さんにお願いした。この特集でデータ入力部門の応募メール審査員をしてくださったのが、宮田志保さんで…。
 牧子さんと宮田さんには共通点がある。今回、牧子さんにお会いしてそれを思い出した。

 今回、打ち合わせ前にセミナー関連書類や課題音声をデータの形で送信してあった。私にも、かろうじてその程度の事務能力はあるのだ。
 打ち合わせ当日。牧子さんは、その雑多な書類をきれいに印刷して、話の進行に必要な順番にファイルに綴じ込んだ状態で持っていた。私は、適当に大型封筒に投げ込んで持っていっただけだ。

 「応募メール大添削」のときもそうだった。
 宮田さんのお宅にお邪魔したら、宮田さんは整然と応募メールを印刷し、必要なところに赤線やら書き込みなどを入れて整理されていたのに、私は裏紙に印刷したのをばさーっと持っていっただけ。翌日、牧子さんとお会いしたら、こちらも宮田さん同様に整然とファイリングされていて…。
 つくづく大ざっぱな自分が恥ずかしい。見習わなきゃね。

山本牧子さんの自己紹介

 自営業の形でテープ起こしをしている山本牧子です。屋号は「テープ起こしのやまもと」。なんでこんな屋号なのかというと、仕事用に電話を増設する資金はないから、「やまもとです」と電話に出て差し支えない屋号にしたかった、という情けない理由からです(^^;。

 ●テープ起こしのやまもと

 2000年から始めました。“SOHOワーカーに多い”とされている昭和39年生まれ世代(早生まれなので40年生まれですが)です。
 クライアントは大学の研究室、出版社、企業、企画会社、フリーライター等で、直接依頼を受けています。もちろん、いきなり直になったわけではありません。スタートは某通信教育で学び、試験に一度落ち、再試験を受けて合格。通信教育系列、知人、登録会社と3つの依頼元からの仕事をいただく形でスタートしました。
 クライアントと直取引オンリーになったのは開業から2年くらいたったころ。途中でホームページなども開設し、直取引のクライアントが増えてきて、両立できなくなってしまったんです。

 今の仕事に入る前の数年間は専業主婦(出産があったから)、その前の10年間は某企業にお勤めしていました。私が勤め人だったころはちょうどバブルの時期で、会社は人材教育に金を惜しまなかったとき。ビジネスマナーもパソコンもマーケティングも、全部会社で仕込んでもらいました。
 こういう経験が、今、ものすごく役立っています。お客様と打ち合わせするのが苦にならないのは、仕事を始めてみて、ものすごく武器になると感じました。まず言われることは、「在宅で仕事をしている人って暗いのかと思ったら、違うんですね」ということ。ここからお客様との話がはずんだりするんですね。

 仕事以外では、今は小学校のPTA副会長をしています。「人間、何事も経験だ!」と引き受けたところ、昨年春に義父の肺がんが見つかり、「まさかこんなことになるとは・・・」という一年になってしまいました。その父を秋に見送り、ようやっと家族も落ち着いてきたので、今年はいろいろ新しいことにチャレンジしたいと思っています。

知らなかったとはいえ

 昨年秋、牧子さんにとんでもなく失礼なことをしてしまった。

 親の介護と在宅ワークは両立できるものだろうかと、私はいつも不安に思っていた。
 現実にどんなふうになるものだろうか。心の準備が必要だ。外で働いている人や専業主婦ではない、在宅ワーカーの場合を聞きたい。10月12日の夜、おそらく介護まっただ中のはずの牧子さんに、「すごーく恐縮しつつ…」というタイトルでメールを出した。

ブログに「在宅ワーカーでも親の介護は不安」と書いていたら、その当日義父が入院してしまいましたー。1週間で退院予定ですし、命に別状はないんですが、楽天的な人が今回に限ってひどく気落ちしていて。
ザイニュー10月号は介護中の方にお話を伺えたら、自分の参考にもなる…と思ったとき、思い浮かんだのが牧子さんなのですが。

 わずか数時間後に返事が来た。

廿さん、ご無沙汰しております。
すごーく恐縮しつつお送りいただいたメッセージに対する返信としては、
非常に書きにくいものがあるのですが・・・。
実は、10月8日に義父が亡くなりまして、昨日が通夜、本日が告別式でした。
ここ数年透析をしていたのですが、春に肺がんが見つかり、最後の3カ月は入院生活でした。

 血の気が引いた。告別式の当日に、こんなメールを出してしまうなんて…。あああ、ごめんなさい。
 牧子さんは、介護について学ぶべくヘルパー2級を取得した。長ーい介護生活を想定されていた。それに、うちの義父は2年半前に見つかった食道がんで大手術をしていながら、このとき命に別状はなかった。だから私は、牧子さんのところもそんな状態だろうと勝手に思いこんでいたのだ。
 初めての育児に入るとき、子供の成長は千差万別と聞かされる。同じように、病気や老いの進行も千差万別なのだと、ここで痛切に思い知った。

※病気と老いは別々に考えられないことを、義父を見ていて知った。病気で寝ていると若くても脚が弱ったり体力が落ちたりするが、起きられるようになれば回復する。だけど高齢者の場合、体は使わないとすかさず老い、そのまま戻らず固定してしまう。

条件を列挙してみた

 私は非常時の代理講師を牧子さんにお願いしたかった。でもそういう失礼をしてしまった後では、お願いメールがなかなか出せない。今日は仕事が忙しいからメールを書く時間がない、仕方ない、と自分をごまかして日がたっていた。

 テープ起こし界には優秀な人材が多い。ただし、テープ起こしのスキルが高いことと、人に教えられることは違う。
 私は工房や工場に勤めていたので、人に会う仕事をしたことがなかった。だから、入力会社のパートを始めた頃は、在宅さんに仕事の説明をするたびに緊張し、声が震えて苦労した。入力仕様を説明し質問に答える、新しい在宅さんの面接をする…などの経験を通して、人前でしゃべることに徐々に慣れていったのだ。
 代理講師をお願いしたいのは、テープ起こし自体のスキルが高く、なおかつ人前でしゃべったり教えたりする仕事を経験している人。牧子さんは以前、いろいろな会社へ何かの講習をしに行くような仕事をされていたのだ、たしか。数年前には音声加工についての講演もされている。

 そして、他人の作ったテキストで教えられる人。自分の考えと違うことが書いてあっても柔軟に使ってくれる人。もっとも、この点については「廿さんのテキストにはこう書いてありますけど、私の経験では」と、かまわず言ってくださいと牧子さんにお願いした。
 実務についたとき、「この発注者はセミナーで学んだのと違うことを言う。きっと悪徳業者に違いない」と疑心暗鬼になってしまう人がいるものだ。基本的なラインはあるにせよ、実際は発注者ごとに仕事の進め方や要求されるテープ起こしのスタイルは違うのだと、参加する人には理解してほしい。
 だからセミナーの席でも、同じ質問に宮田さんと2人で答えるときは「宮田さんはこうおっしゃいましたけど、私のところでは違います」と、わざわざ言うことにしている。

 また、セミナー参加者は、単にテープ起こしの技術を学びたいわけではなく、在宅ワークというスタイルについて知りたがっている。技術的なことはQ&A掲示板を使って教えられるから、むしろ仕事スタイルと生活スタイルが、参加者の参考になる人がいい。
 具体的には、できたら独立自営型と登録型の両方の仕事スタイルを経験した人。テープ起こしを受注するだけでなく、発注経験もある人。できたら子持ちの人で、しかもその子供があまり幼くないこと(幼児は、親の外出予定を見抜いたかのように熱を出すという特殊能力を持っているから)。そして、差し迫った家族の介護をかかえてなくて、打ち合わせの都合を考えれば東京またはその近郊の人…。

 どんな条件から見ても、お願いしたいと私が思う方の中で最有力候補は牧子さんだ。お義父様が亡くなられたことを利用するかのようにお願いメールを出すというのは嫌だった。でも…。

先にPTAの話

 正月明け、ついに決心して牧子さんにお願いメールを出してみた。快諾してもらえたので、さっそく品川へ説明に出向いた。
 お子さんもいて、お義母様もいらして、年度末に向けてテープ起こしが繁忙期に入り、しかもPTAの副会長をしているという忙しさの中での快諾に、感謝。

〔牧子さんからコメント〕
 「そろそろ新しいことをしたいなぁ、何をしようかなぁ」と思っていたら、廿さんからのメールでした。私にとってはものすごくありがたいお話でしたね。廿さんのお義父様の状況を伺うと、どうも私がピンチヒッターで登場する可能性は低そうです。「私でいいのか?」という大問題はあるものの、とりあえずお話だけでも伺ってみることにしました。

 お聞きしたら、「子供、義母、仕事、PTA」の中で、PTAが一番大変だし心配だそうだ。
 「子供はまあ大丈夫、義母は義父の死去2週間前に骨折したけど今は回復しているし、外へ買い物に行ったりはできないものの自分のことは自分でできる。仕事は必要なら頼める体勢を作ってあって、相手もプロだからスムーズに進む。
 だけど、PTAの役員をしている人たちはさほど仕事経験がないから、何でも前倒しで準備したり指示したりしておかないと、自分に急用ができたとき危ない」

 PTAに関するこういう話、去年も聞いたなあ。同じくしょっちゅうPTA役員をされている卓也ママさんかな。
 忙しい人というのは、能力があって人に頼られるから忙しいのであって、仕事も家庭も役員も趣味もなんでもこなす。忙しさに鍛えられて、ますますなんでもこなす力がつき、ますます頼られてしまう。
 おかげで、のんびりと「お母さんしてる人」とはいっそう処理スピードに差がついて、そのギャップに苦労することになる…。それがPTA役員独特の大変さらしい。

 山本家は電気関係の会社を営んでおり、ご主人が3代目。牧子さんがPTA副会長なのは小学校だ。代々その土地に住んでその土地で仕事している家は、狙われ(?)やすい。この先、中学校も危ないんじゃ…。

 さて、次回から問題の介護の話だ。まず家族関係について整理しよう。

20080118n_3 

 夫の両親が年の離れた夫婦ということまで含めて、全体に似た感じ。
 決定的な相違点は、夫の両親は牧子さんちのほうがだいぶ年上なこと。うちの義母がまだ元気なのに対し、牧子さんはお義母様の心配もしなければならない。
 それと、義父母宅との距離。半同居の場合に苦労することや楽なことは何か。クルマで20分(私自身にとっては「自転車で30分」)の距離だと、何が面倒で何が楽なのか。その距離の違いは、在宅ワークにどう影響していくのか。

ヘルパーとして働きませんか、って
 数年前から透析していたお義父様に肺がんが見つかったのが、昨年春。そして昨年10月に81歳で亡くなった。その半年間について牧子さんにメールで質問したところ、10月末にお返事メールをいただいたので、3回に分けて紹介したい。

私が今回伺えたらと思ったのは、在宅ワークと介護とその他(家事・育児・役員・自分の趣味や余暇など)のバランスについてです。在宅ワークと介護を両立するときどんなことがポイントになると感じますか。

 あまりにあまりの半年だったもので、バランスをとろうとか、余暇がほしいとか、そんなことを考えている余裕はありませんでした。優先順位としては、1位が義父、2位が仕事、3位がPTAかな。

 ただ、PTAについては、なるべく先回りしていろいろな根回しをしました。
 役員とだけ連絡を取って済む場合はほとんどなくて、何をやるにしても、学校側とも外部の方とも連携しなくてはいけませんから、先回りして根回しして、「何かあったらこうしてね」という連絡を、常にほかの役員に入れておくという形。

 義父は何しろ、いつ何があってもおかしくない状況でしたから、「ある日突然、仕事を1週間休むようになるかもしれない」と、常にそのことを頭に置いて、仕事は納期をなるべく長くいただけるように、ホームページ上では常に、実際にスケジュールが埋まっているのより2週間程度長めに、新規予約受付開始時期を表示するようにしていました。

テープ起こしって知識が増えるので案外役に立つ…そんなことありましたか?

 医療関係の起こしは結構あるのですが、医療と介護は全然違うんですよね。
 で、介護の方は、うちのお客さんではほとんどないので、正直、仕事の知識が役に立ったと感じたことはありませんでした。私には介護の知識が必要だと感じましたので、お金を払って、時間をかけて学校に通って、ヘルパー2級を取得しました。

 ホームヘルパー2級の取得について牧子さんに伺ったら、すごい受講時間数のようだったので、今あらためて調べてみた。講義60時間、実技42時間、実習30時間…。すごすぎる。ヘルパーとして働こうというわけではないのに、家族の介護の知識のために、ここまで勉強してしまう人は少ないだろう。
 ちなみに、ヘルパーも人手不足だから、牧子さんのところには就業説明会に参加しませんかというダイレクトメールがしょっちゅう届くそうだ。

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山本牧子さん2

万全の準備をしたのに3日オーバー

今回も牧子さんメールご紹介の続き。

仕事量を減らしたり誰かに託したりされましたか。

 仕事は、短納期のものはなるべく紹介させていただく形にしました。長期のものを中心にして、一部は外注もしました。常に、突然1週間仕事ができなくなることを念頭に置いてスケジュール調整を行なっておりました。

 紹介するというのは、クライアントを同業者に譲ってしまうことを意味する。本人にとっても残念な事態だし、クライアントが「あなたに出したいのだ」と抵抗する場合もある。けれど、非常時に安心して譲れる相手がいるというのも、その人の財産と言えるだろう。

〔牧子さんからコメント〕
 短納期なのに残ったのは、まさに、「山本さんができないときは自分で起こします!」と言い切ってくださったクライアントでした。うれしいやらしんどいやら、でしたね。

突発的なことにどう対処されましたか。

 結局、葬儀の前後で10日お休みをしたんです。
 7日は休んでも大丈夫なようにしてあったんですが3日オーバー。この3日を取り戻すのは大変でした。ここ半月ほど、毎日5時起きで、休日抜きで仕事をしました。
 今日の昼、大口の納品を完了しました。たまたまこの仕事が、42時間を4カ月で納品するというものだったので何とかなりました。もちろん、ほかの仕事もあったんですが。雑誌のような短期のものばかりだったら、仕事に穴を空けることになったんじゃないかと思います。

 「ある日突然、仕事を1週間休むようになるかもしれない」という目安が、私には役立った。1週間をどう乗り切るかを考えて準備していけばいいのだ。このメールをいただいて以来、考えて少しずつ準備を始めた。

 それが10日も仕事を休むことになった事情について、今回お会いしたとき伺ってみた。
 当然、亡くなる直前は危篤ということで病院に詰めている。月曜に亡くなって、お寺の都合でお通夜が木曜、告別式が金曜。山本家は親戚が多く、泊まりがけで葬儀に来る人も多かった。しかも、どうしても葬儀に出られなかったからと、葬儀後に泊まりがけで訪れた親戚があった。この「葬儀後」の部分が誤算で、10日になったのだという。

スケジュール調整しやすい仕事を

 牧子さんメール、ラストの部分。

 結局、重要なのは納期が長い仕事を選ぶこと、でしょうか。納期が長ければ、人に頼んで、あとで校正して納品することも可能ですから。
 家庭との両立も、ここがポイントなのではないかと思います。子供が小さかったり、家族の介護に携わっているような場合には、スケジュール調整しやすい仕事を選んでいくしかないと思います。

 これは、私の場合問題だなあ…。テープ起こしもそれ以外も、短納期でビュンビュン片付けるような仕事ばかりだ。

 テープ起こしは、牧子さんのメールを読んで以来、テープ起こしをお願いする人用のブログを作った(パスワードのかけられるブログサービスを利用)。
 ワードの書式設定や、(笑)(笑い)どちらの記号を使うか、どの程度に段落替えし、『記者ハンドブック』を基準にしつつ何に独自の表記を使うか。そういう細かい部分については、今までは特に頼んでいなかった。自分の個人的な好みだから最後に調整していたのだけど、そこからやってもらえば、いざというときチェック時間が短縮できるし、最悪の場合はクライアントに直接納品してもらうこともできる。

 ゴーストライター的な仕事は、1社は大勢スタッフがいるようだから、私が無理でも誰かいるだろう。もう1社からは年数回だから、ぶつからないことを祈るのみ。

 昨年4月、「データ入力+集計レポート作成」の仕事のやり方を変えることにした(2007.04.11の記事)。忙しいとこぼしているくせに、16工程中「入力・校正」という1工程しかスタッフに頼んでいない自分の馬鹿さ加減に気づき、作業マニュアルとチェックリストを作って委託工程を増やすことにしたのだ。
 ベテランのスタッフ1名は16工程中8工程をすでに問題なくこなしてくれているし、あと2名も7工程クリアしてくれているので近々8工程目のマニュアルを送る予定。

 引き継いでない8工程のうち6つは、原稿のナンバリング→スキャニング→スタッフに送信などの作業だ。万一の場合は原稿自体をスタッフに送れば、作業を省略できる。
 残りの2工程は説明がとっても面倒なので、マニュアル作成に何日もかかる。あるいは対面でレクチャーするか…。ここがクリアできないと、原稿だけ送っても仕事は進められない。この仕事を発注してくれる会社が、最も重要なクライアントだ。なんとかしなきゃ。

辞められない、辞めたくない

(それにしても、お義父様、お義母様という文字は、画数が多いせいかやたらぎょうぎょうしい。ここからは単にお父様お母様で。つまり「牧子さんのご主人のお父様お母様」だ)

 お父様は、がん発覚後3カ月を自宅、3カ月を病院で過ごされたわけだが、自宅療養中にベッドから落ちること1回、お風呂でお風呂椅子からずり落ちること1回、だったという。80歳過ぎの高齢ですでに筋力が落ちていることもあり、自分では起きあがれない。どちらもお母様はそばにいたが、お母様も70歳近いから、一人では助け起こせなかった。
 「ところがね、義父が牧ちゃんは呼ぶなって義母を止めたんですよ。牧ちゃんも忙しいんだから呼ぶなって」
 思いやりはありがたいが、具合が悪くなったら結局みんなが苦労するのだから、直ちに呼んでもらうほうがいい。せっかく隣の家にいるのだから。

 若い人に迷惑をかけたくないというこの世代の気概は、病気になったとき自分を支える力になるとはいえ、お母様も大変だったと思う。その疲れがたまったか、お母様はお父様が亡くなる2週間前に右手首を骨折した。牧子さんはますます忙しくなった。

 牧子さんは、お母様が骨折したとき「自分が仕事を辞めよう」と一度は決心したという。お父様はもう最期を覚悟する状態だったし、お母様も骨折からこの先どの程度回復するかわからない。
 仕事を辞めるためには、このクライアントをこの人に譲って、このクライアントは…。

 牧子さんは、お母様の骨折以前に、かなりのクライアントを人に紹介(つまり譲って)していた。だからこの時点で受注していたのは、長年のお客さんばかり。「こういう内容ですからこうしましょうか」「こうしたらもっと使いやすいですか」と打ち合わせをしながら、一緒に考え、工夫してきた大切な相手ばかりだった。
 それを断る、誰かを紹介する。仕事を辞める。
 考えていくうち、牧子さんは涙が出てきた。だめだ、辞められない。辞めたくない。なんとか続けていく方法を考えよう。

 うちのことはいいのよとお母様は恐縮するが、骨折が右手首では高齢だろうと若かろうと手助けがいるのは仕方ない。牧子さんは2軒分の家事を背負い込むことになった。
 がむしゃらに頑張るラストスパート。葬儀前後の仕事ができない10日間。そして遅れた分を取り戻すべく朝5時起きして、今度はがむしゃらに仕事。

 うーん、参考になる。なりすぎて胃が痛くなってきた…。

モルヒネ投与と家族の心労

 今年に入って義父の痛みが鎮痛剤で足りなくなり、モルヒネの貼り薬をスタートした。そのとき、牧子さんからいただいたメール。

モルヒネ投与が始まると、どうしても動きが悪くなってきます。
痛みを鈍らせる、つまり感覚を鈍らせるということですから、動作のみならず、内臓の動きも当然悪くなってきます。
誤飲も起こりやすくなってきますので、どうぞ十分に気を付けて差し上げてください。

十分に気を付けるためには、常に誰かがそばにいなければなりませんが、夢を見る時間が長くなり、寝言が多くなってきて、家族がつらい思いをすることも増えてきます。
交代で気分転換をすることも、倒れないためには必要だと思います。

 体験した人でなければ書けないこのメール。今の私は「ああ、いずれこうなるのだな」と痛感できてしまう立場だ。
 私がこれを書いている前日(1/12)、親戚がタクシーで見舞いに来るのを夫は大通り沿いで待っていた。そこへ義父が杖も使わず出てきたという。そういうときは本人も気をつけているから転ばないのに、そのあと自宅のトイレでスリッパを脱ぎ損ねて転び、顔に擦り傷ができたという。
 まあ、擦り傷ぐらいで済んでよかった。とはいえ、起き上がってベッドに戻るまでにはだいぶ時間がかかったらしい。
 スリッパは危ないなあ。トイレ内にマットを敷いて、スリッパを廃止すれば…いや、マットも危ない、ずれて滑ることがある。トイレに暖房は入れたけど、古い日本家屋だからトイレの床はフローリング(というより「板張り」)で冷たい。廊下も寒い。どうしたものか。

〔牧子さんのコメント〕
 床暖房にしてはどうでしょうか。スリッパは、足腰が弱ってきたらやめたほうがいいと思います。家の中の段差も要注意です。介護予防のための家の補修は一部助成があるはずなので、どんどん使って直してくださいね。

 「転んだとき、家に誰かいたの?」「誰もいなかった」
 これも問題だ。というか、身体がこの調子で弱っていくともうじき問題になる。義父母宅は、店からほんのちょっと離れている。だから夫も義母も店にいる時間は、家に義父のみになる。

 「十分に気を付けるためには、常に誰かがそばにいなければなりません」、本当にそのとおりだ。私は自宅で仕事をしているが、いずれ義父母宅(あるいは病院)で仕事をすることになるかもしれない。昨年後半ぐらいから少しずつ、どこにいても仕事ができるよう準備をしてきた。
 その話はまた次回。

仕事場以外で仕事するために

 牧子さんは義父母宅がお隣だから、日頃からいろいろ気を遣わなければいけない。うちは離れているから普段は気楽だが、義父の誤飲が心配になっても「夕食時だけちょっと見に行く」というようなことができない。
 私は夫をせっついて、店の閉店時刻を夜8時から7時にさせてしまった。そんな遅い時間にクリーニングを持ってくるお客などいないのだから問題ない。これなら朝夕の食事は義母が、昼食は夫が見ることができる(店と義父母宅は近いので、夫は昼食を義父母宅というか自分の実家で食べている)。

 それでも、昼間誰もいないのが危険な時期がいずれ来るだろう。店をやめることはできないから、そうなったら私が向こうの家で仕事をするのが一番いいかもしれない。
 自宅以外の場所(義父母宅や、義父が入院してしまった場合は病院など)で、仕事をするためには何が必要か。

 介護の問題とは関係なく、最近メールソフトというものを使っていない。Webメールのほうが、どのパソコンからも過去の受信・送信メールを見ることができて便利だからだ。
 最初はGmailを使ってみた。でもフォルダを作ってメールを整理できないのは不便で(Googleの強力な検索機能を使えるから問題ないと、Gmailは主張するけど)、結局ニフティのWebメールに仕事用のメールを転送して使うことで落ち着いた。
 これで、普段はデスクトップPCを使っていても、出先ではノートPCで問題なく過去のメールを参照できるようになった。当然、携帯にもPCメールは転送している。

 IDとパスワードを入れればどのPCからでも、ネット上のデータを自由に読み書きできる。そのWebメールのメリットが気に入ったので、ファイル保存にも応用することにした。
 レンタルサーバーは使っているけど、仕事上のファイルを置けるセキュリティー設定が自分ではできない。オンラインストレージサービスを利用することにした。
 以前から使っていたジャストシステムの「インターネットディスク」は、ブラウザを変えて以来うまく動かない(Lunascapeには対応してないのかも)。結局、オンラインストレージもニフティの「マイキャビ」にした。

 さて、肝心なPCだ。モバイルノートは高い。年に数回のセミナーと年に数回の帰省に持って行くぐらいでは元が取れない。それでB5ノートを持ち歩いていたが、今後毎日義父母宅へ通うようなことになれば、やっぱりもう一段軽いモバイルが欲しい。
 Windows Vistaは不評らしく、「Vista搭載だけどXPにダウングレード可能」なんていう妙な売り方を見かける。私もXP希望で…そうだ、中古を買えばいい。ダウングレードしなくても最初からXPだし、中古の分安い。発売2年程度のモバイルを安く手に入れた。

〔牧子さんのコメント〕
 このお話を伺って、私はXP搭載のA4ノートを“発注”しました。この原稿がブログに掲載されるころには自宅に届いていることと思います。1台持っているんですが、最近はすっかり子供たち専用状態になっているし、容量が小さいので、仕事に必要なソフト全部を入れられない状態だったんです。
 これから先、実家で何かあったらこのノートを持っていって仕事をするつもりです。携帯性を考えたらB5という選択になるのでしょうが、どうも画面が小さいと仕事しづらいような気がして。力持ちなので頑張って持ってあるきます!

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山本牧子さん3

昔はバンドで歌っていた

 牧子さんにお会いしたときは単なるおしゃべりをしただけで、ちゃんと取材したわけではないから、聞き漏らしたことがいくつかある。
 その一つは介護とご主人の関わりだけど、たぶんこれは問題なかったのだろうと思う。牧子さんの話には「自分の親なのに全部私に押しつけた!」というニュアンスがなかったからだ。
(「義父母にいじめられたことは一度もない」というのは伺った)

〔牧子さんのコメント〕
 きっと廿さんもそうだと思いますが、夫が親と一緒に仕事をしていたら、嫁しゅうとめ問題はさほど起きないのではないでしょうか。
 問題が生じるのは、たぶん、しゅうとめが「息子を取られた!」と思うからで、うちは結婚前後で夫の生活にさして変わりがない。義母にすれば、大事な息子は毎日“出社”してきて顔を合わせている。だから、私にも優しく接してくれるのだろうなと思っています。

 牧子さんとご主人はもともとバンド仲間で、ご主人はギターを弾いていたのだそうだ。
 高校2年のとき、牧子さんは友だちと一緒に、地元横浜のバンドフェスみたいなイベントを見に行った。フェスに出演していたバンドの一つがサークル形式でメンバーを募集していて、牧子さんたちはさっそく入った。そこで出会ったのが3歳年上のギタリストさんだったわけだ。
「バンド? 牧子さんはやっぱりキーボードだったんですか?」

 この「やっぱり」というのは、私の個人的な体験から来る。私は昔、あるアマチュアバンドでキーボードを弾いていたのだけど、同時に入っていたアマチュア劇団で、「次回はミュージカル。おまえが作詞作曲生演奏」と演出家に言い渡されて、バンドを抜けるはめになったのだ。
 バンドのギタリストは、私のあとに入ったキーボードの女性と結婚した。私のほうも、そのときの生演奏でギターを担当した劇団員と結婚したから、「ギタリスト+キーボード」という方程式が頭の中にできてしまっている。

 ところが、牧子さんはボーカルだったのだそうだ。ボーカルの牧子さんって想像つかない! 元気いっぱいシャウトしてたんだろうか。見たかった。

〔牧子さんのコメント〕
 ちなみに、うちのキーボードはドラマーと結婚しました。そのドラマーの彼は、今、レコーディングミキサーになっています。キーボードはエレクトーンの先生。
 うちの主人は、本当はレコーディングミキサーになりたくて大学の後にその専門学校に通っていたんですが、勉強中に義父が倒れて、家業(電気工事業)を継がざるを得なくなったんです。でも、勉強したことは結構役に立っているようです。オーディオのセッティングなんかも頼まれたりするようですから。

 私たちの父親世代は、育児をしろとか子供を理解しろとか求められてはいなかった。父親は、息子なら少しはわかっても、娘とは強烈にすれ違うことがしばしばだった。
 牧子さんも「親のお金で大学に行ったら、バンド活動なんか許されるはずはない」家庭だったので、高校を出ると就職してバンドを続けた。早く家を出たい気持ちもあって23歳のとき、ギタリストの彼と結婚した。(「実家の父も70年かかって今では丸くなりました」と、牧子さんは笑っていた)

 牧子さんがテープ起こしに興味を持ったのは、子持ち専業主婦時代。ここからの経歴は結構みんな似てくるのだけど、牧子さんの場合は通信教育がプラスになっている。その話はまた次回。

手書きの講座をどう捉えるか

 テープ起こしの通信教育講座が乱立した時期がある。新聞や主婦向け雑誌などに毎日のように広告が載っていた。
 在宅ワークバブル、特にテープ起こしバブルの時代だった。私が当時出していたメルマガ「テープ起こしてんやわんや」は、駆け出しの私がてんやわんやするたわいない内容だったが、それでも2000名も読者がついた。

 在宅ワークバブルの時代には「内職商法」「教材販売商法」などと言われる悪徳商法もはびこったが、特に派手にやっていた会社が摘発され、バブルは一気にはじけた。このテープ起こし系業者に対する平成14年の業務停止命令が、今も経済産業省のWebサイトに載っている。

 牧子さんが受講したのは、テープ起こしバブル崩壊後も現在まで生き残っている、ある意味優秀な講座だ。
 この講座の広告には、小さいカセットテレコを左手で操作しながら右手で原稿用紙に書いている写真が載っていた。だから「今どき手書きで起こす仕事なんてないよ!」とか、教材の音声は原稿読み上げ調だそうで「実務にこんな聞き取りやすい音声はないよ」という批判はよく耳にした。

「でもね、1回目の課題は原稿用紙に手書きだけど、2回目からは入力・印字したものを提出してもいいんです。私は2回目から入力してました。それに、最初に原稿用紙の使い方をきちっと覚えるのはいいことだと思います」
 日本語の出版物の文字組み方法は、原稿用紙の使い方が原型になっているから、たしかにそれはそうかもしれない。
 牧子さんが2回目から入力にしたのは、「実務では手書きのはずがない」という判断だろう。こういうとき知識というか視野の広さが物を言う。

 通信教育の会社側から見れば、印字原稿しか受け付けないという形態で通信教育を組むのは、大変というか危険なのだ。
 パソコンを使えない人はまずパソコンを習わなければいけなくなる。普通のパソコン教室に初心者が行くと、「暑中見舞いハガキのレイアウト」などテープ起こしと関係ないことをやらされる。
 だからおそらく講座の質問コーナーには、入力や印刷に関する質問がたくさん寄せられることになるだろう。講座としては、仕事の実態がどうあれ手書きもOKという路線で行くほうが無難なのだ。

〔牧子さんのコメント〕
 テキストと一緒に質疑応答集が配布されていて、そこに、「課題提出の際、印刷した原稿を送っていいのか」といった質問と、「2回目以降は可」といった回答が載せられていました。
 録音は本当にきれいでしたよ。だから、修了試験の課題の雑音入り音声にびっくり! え? 教材と全然違うじゃん! 本当はこういうものなのか……ってね。

クライアントとの距離が遠い…

 今日も、牧子さんの通信教育講座時代の続き。

「1回目の修了試験で、私は合格に1点足りなかったんです。普通のテレコを操作してたから聞き取りに集中できなかった、トランスクライバーを使おう!と思って、すぐ買ってきました」
「トランスクライバーのこと、知ってたんですか? 教材に書いてあったんですか?」
 書いてあったという。トランスクライバーは高価だが、フットスイッチで音声の再生・停止などを操作でき、両手は入力に専念できる。録音媒体がカセットテープ中心だった当時は、プロの必需品だった。それを勧めているということはしっかりした教材だったのだろう。

「修了試験の後、就職の相談にのってもらおうと思って電話しても、試験に受かるまではけんもほろろの扱いでした。でも3カ月後、再試験に合格したら態度が一変!『おめでとうございます。よかったですねぇ』と本当にうれしそうに言ってくださって、その後、2週間ぐらいで系列会社から仕事を出してくれて、報酬金額も良かったですよ。業界でよくいわれる最低料金なんていうことはなかったですね」

 この話は考えさせられる。
 「テープ起こしは簡単。修了すれば確実に仕事を出す」と釣って、再試験や追加講習などにさんざんお金を取ったあげく、ほとんど誰も合格させないように作られた悪徳講座もかつては多かった。しかし、それなりに良心的に作られた講座を受講して「修了試験に合格しない! 仕事を紹介してもらえない! 詐欺だ!」というクレームの中には、本人の実力が足りなかったというケースも含まれているのではないだろうか。

〔牧子さんのコメント〕
 私も、実はちょっと疑いました。「1点足りないって何? もしかして落としてない?」って。でも、とにかくもう一度だけ受けてみようと思って。それで不合格なら、それから疑えばいい。今は、1回目は本当に実力がなかったんだなと思っています。

 テープ起こしというのは案外難しい仕事だ。私が「タレントになりたい、タレントスクールに行く」と言い出したら誰でも「無理だ」と止めるだろう。同様にテープ起こしだって適性や才能や、いろいろなものが必要なのだ。
 通信教育が「テープ起こしは誰でも簡単に習得できる」というニュアンスで、まして「確実に仕事を紹介」と売るのは問題だ(通信教育が直接仕事をあっせんするのは法に触れるので、別会社からという形式にするわけだが)。
 かといって、「すごく難しいです!」と売るのもギャグだしねえ…。

 ともあれ牧子さんは、修了した講座のほかにいわゆる登録会社からも仕事を受注して、順調に経験を積んでいった。
 だが次第に、受注方法を変えようという気持ちがふくらんでいった。クライアントとの距離が遠すぎるからだ。
 疑問点があっても、直接問い合わせられない。牧子さん→登録会社の在宅ワーカー担当者→登録会社の営業担当者→クライアントという順に質問が上がっていき、この順番に下りてくる。途中でうやむやになってしまうことが何度もあった。
 牧子さんは、一度引き受けたことは最後まできっちり仕上げないと気が済まない性格だ。だからエージェント経由をやめ、出版社などからの直請けに切り替えていった。

琥珀の本をめぐって

 牧子さんが出版社から受注した仕事の一つに、琥珀についてのテープ起こしがあった。洋書を某大学の教授が翻訳したもので、教授は訳を口述して録音し、それを牧子さんが文字化した。
 ゆっくり丁寧に口述され、起こしやすい楽しい仕事だった。しかし、出版社に納品したあとなかなか出版されず、いつしかこの仕事の件は牧子さんの記憶から薄れていった…。

 2006年秋。石好き(←宝石から河原の石ころまで幅広い)なわが家の長女が、図書館で琥珀の本を借りてきた。私と長女はお互いの本を奪って読み合う習慣で、私はそのときも読んでみた。教授のあとがきに、関係者への感謝の文章が入っていた。「山本牧子さん」への感謝が出てきた。

 メールを出したら、牧子さんのほうが驚いていた。この本が出版されていたのを知らなかったのだ。2003年秋に納品して、出版は2004年8月。ずいぶんかかったものだ。
 牧子さんはその話題をSNS内の日記に書いた。業界の大先輩からメールが届いて…と。

 あのー、業界の大先輩ってねえ(笑)。牧子さんの業務スタートが2000年で、私は1999年でしょ。そりゃ最初にテープ起こしでお金を稼いだのは96年だけど、その後入力会社のパートをしていてブランクがあったし、99年以降だってテープ起こしとそれ以外の仕事を並行させているから、経験した量はテープ起こし専業の方ほど多くないんですけど。
 気恥ずかしくて、SNSで「琥珀の本、見つけたのは私なのよ!」と名乗り出られなかった。ここで発表しておきます…。

 お会いした1月11日は、人付き合いがあまり上手でないわが子(山本家の次男くんと、うちの長女)に、親として心配がつきない話も実は盛り上がった。
 でも、次男くんは幼少のころからレゴに熱中し、牧子さんが見ても理解できないような説明書を読みこなし、複雑な大作を作り上げているという。うちの長女は熱中する対象が次々変わるけど、そのたびに図書館から山のような本を借りて読みふけっている(琥珀の専門書もその一つ)。
 彼らの常軌を逸した熱中ぶりがいつか仕事にも生きることを、親としては祈りたい。根気や集中が必要な仕事、テープ起こしをやっている私たちだから。

〔牧子さんのコメント〕
 今、次男にはレゴ友が3人います。レゴがなかったら友達をつくれなかったかもしれない。「テストでいい点を取ったらレゴね」と言えば張り切って勉強する。彼の生活はすべてレゴで成り立っている。レゴビルダーになりたい彼。なれなかったら……あとはどこに進むんでしょうか。親の悩みは尽きませんね。

 お会いしたときは、テープ起こしについて校正ソフトの使い方、音声加工の話、仕事を頼んだときのビックリエピソードなど、いろいろな話題も出たのだけど、今回は介護との両立をめぐる話を中心に書いてきたから、これらがうまくはまらない。また何か別の機会に…。

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山本牧子さん4

在宅ワークは介護に強い

 やっぱり在宅ワークは介護には強いと思う。
 雇われて働く形態では、決められた時間は会社にいるのが基本だ。「今日は病院につきそうから昼間はオフィスに出勤できない、夜中に行って仕事します」と言っても、昼間全然出なければタイムカード上は欠勤ということになってしまう。その点在宅ワークは、仕事を仕上げさえすれば夜中にやろうが問題ない。
 在宅ワークでも、登録型の仕事形態では「再委託禁止」であることが多いが、牧子さんや私のような独立型では、自分ができないとき誰かに手伝ってもらうことは問題ない。

 だから、自分で時間や仕事方法を管理できれば介護とも両立させられる。
 「自分で管理できれば」というところがポイントだ。ここでメンタル面が問われてくる。

 うちの義父は、内臓のがんは手術や抗がん剤でほとんど退治できたのだけど、首に転移したがんは増殖している。おかげで食べにくい。しかも息ができなくなって、年末にのどの緊急手術を受けた。
 命にかかわる手術でないことはわかっていた。でも、義父が手術後に泡を吹いてもがき苦しんでいるのを見てしまうと、やっぱりその日は気分が落ち込んで仕事が手に着かなかった。
※数日でのどの状態は落ち着き、呼吸は手術前より楽になった。

 この先、もっと病状が進行すると、こうなるわけだ。
十分に気を付けるためには、常に誰かがそばにいなければなりませんが、夢を見る時間が長くなり、寝言が多くなってきて、家族がつらい思いをすることも増えてきます。
(牧子さんのメールから。1/24の記事で紹介)

 外へ出ていれば、むしろ仕事時間中は頭を切り換えられるのかもしれない。自宅で仕事するのは、普段でも自己管理はそれなりに大変(おやつの誘惑に負けるとか)なのに、家の中につらさの原因があっては、仕事するのも楽ではないだろう。

あまりにあまりの半年だったもので、バランスをとろうとか、余暇がほしいとか、そんなことを考えている余裕はありませんでした。
(牧子さんのメールから。1/18の記事で紹介)

 できる限りの準備をしつつ、突発的・予定外なことが次々入る覚悟もしながらやっていくしかない。牧子さんのお話を伺って、仕事とわが家の今後がある程度イメージできるようになってきた。感謝。

連載のあとに…1
(山本牧子さんからメッセージをいただきました。)

 たわいないおしゃべりがブログになって本当にびっくりしましたが、楽しい時間がよみがえってきてうれしかったです。廿さん、ありがとうございました。

 介護と看病が中心になった半年は、人と会うこともなかなかままならない日々でしたが、家族のきずなは深まっていったように思います。
 昨年春、既に肺がんと戦っていたのに、中学1年の孫と将棋をして圧勝した父。夏、病院で床に伏せっていても、わがままな小学4年の孫のことをいつも気に掛けていた父。何よりも仕事の話を一番聞きたがっていた、最後まで仕事熱心だった父。そういうしゅうとに出会えたことは、とてもありがたいことです。
 子供たちもおじいちゃんが大好きで、今も毎日お線香をあげて、何かにつけおじいちゃんのことを話しています。

 年が明けて、気持ちの整理もついてきて、今はあれやこれやとやりたいことがたくさんあります。でも、仕事も山になっています。どうやって時間の折り合いをつけようか思案中。新しいパソコンが、時間の折り合いをつける手助けをしてくれることと思います。
 廿さんとのおしゃべりの時間は、私にヒントとパワーをたくさんくれました。今年はたくさんの人にお会いして、たくさんおしゃべりしたいと思っています。そして、いい仕事もたくさんしたい。やる気があってもままならないのは子育て。レゴ好きの次男に手を焼いたら、廿さんに相談メール(泣き言メールかも……)させてくださいね。これからもどうぞよろしくお願いします。

連載のあとに…2

 最近よく、長女が赤ん坊だったころを思い出す。
 つかまり立ちやはいはいができるようになると大変だった。きのう届かなかったところに今日は手が届く。きのう開けられなかった戸棚の扉を開けている。そのたびに、物を移動したり扉のストッパーを買いに行ったりした。赤ん坊は毎日成長し、こちらは毎日振り回された。

 今、義父がちょうどその反対だ。坂道を転げ落ちるように毎日悪くなっていく。
 数日前から、錠剤の薬は飲もうとしなくなった。もう固形物は水で流し込むことも無理のようだ。積極的に治療をするような段階は過ぎているから、痛み止めの貼り薬&水薬、口の中で溶ける睡眠薬(←夜6時間ぐらい、あまり苦しさを感じずに眠れる)で、まあ足りているらしい。
 トイレのスリッパをどうするか…という記事を1/24に書いたけど、その悩みもなくなった。義父がトイレまで歩く気力体力を失いつつあるからだ。

 状態が変わるたびに、家族は右往左往する。私も牧子さんみたいに介護の勉強をしておくべきだったかなあ。それでも、この先どうなりそうか、仕事上何をどう準備するのがいいかを牧子さんに伺えたのはとても役立った。

 義父母宅に新しいモバイルPCを持っていっても、充電を忘れた上にACアダプタも持ってきてなかったり、自分の性格が災いしてしばしば宝の持ち腐れ。こんなことでは仕事もポカミスをしそうだ、気をつけないと!
 1月に近江八幡と東京で開催された就業体験セミナーは、今、参加者の皆さんが実際のテープ起こしを体験中。そして評価会が今月中に両会場で行われる。講師系の仕事は好きなので、ギリギリまで自分でやるつもりだけど…、もしもの場合は牧子さんが行ってくださるというのは、本当に心強い。

 配偶者とか子供とかは、いる人もいない人もいる。だけど親は誰にもいる。夫がこの前、ぼそっとつぶやいた。「これをあと3回か…」
 たとえ親がすでに亡くなっていても、今度はその法事などがあるから、結局親とは長くつきあうことになる。今回、いろいろな方からメールをいただいた。老いていく親の問題は共通なのだとしみじみ感じた。

 あっ、そうそう。今回の連載は、毎日 のタイトルがイケてませんでしたな。私はもともと小見出し付けが得意じゃないけど。タイトルをつけるのは、コピーライター的センスと集中力がいるので…今回は集中が足りてなかった。牧子さんごめんなさい。
 というわけで、1月号の連載は例によって翌月にずれ込みながら終わりです。

後日談

 2月2日に「連載のあとに…2」を書き、4日に義父が亡くなった。

 それまでも何回か、義父母宅や病院にノートPCを試験的に持っていってみて、何が足りないと仕事ができないかを確かめた。4日はいよいよ本格的に義父母宅で仕事を開始するべく、万全の用意をととのえて出動した。
 義父はもう声が出せなかったが、うなずくとか首を横に振るとかできちんと意思表示してくれた。のどにパイプ(←何と言うんだろう?)が入っている状態独特の呼吸音を聞きながら、午前中は順調に仕事が進んだ。

 午後、呼吸音が午前中と違うことに気づいた。呼吸の間隔が空いている。大声で呼びかけても反応しない。「交代しますから来てください」と義母に電話して、店へ走る。救急車を呼んだほうがいいかもと伝えて、店番を代わる。近所へ出かけていた夫に電話。まもなくサイレンが聞こえた…。

 ぎりぎりまで自力で頑張り、トイレに行くとかコップを持って飲むとかができなくなったらすぐに、あっさりと。なんとも義父らしい。
 74歳では長生きとは言えないが、ごく自然に呼吸の間隔が空いていって、安らかな最期。だから、明るい葬儀だった。

 クリーニング店は連休しにくい。お客様側に、ワイシャツの枚数とクリーニングに出す期間のローテーションがあるからだ。
 死去当日は救急車を呼んでからシャッターを閉めたが、翌日は営業しながら葬儀の打ち合わせその他。お通夜と告別式の日は休業、きのうはまた営業しながら市役所の手続きや挨拶回り。
 おかげであわただしいし、疲労倍増。私の仕事はほぼストップ。それでも、向こうへ泊まり込んだ夫と違って私は毎日自宅へ戻れたので、就業体験セミナーの掲示板にちょっと質疑応答を書き込むのが、気晴らしになった。

 葬儀のあとというのは、まだまだやることがたくさんあるけど、とりあえず店も私も平常営業に戻った。13日は近江八幡の就業体験・評価会だし、その準備をしなければ。連休明けに納品する仕事もいくつかあるし。

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