昔はバンドで歌っていた

 牧子さんにお会いしたときは単なるおしゃべりをしただけで、ちゃんと取材したわけではないから、聞き漏らしたことがいくつかある。
 その一つは介護とご主人の関わりだけど、たぶんこれは問題なかったのだろうと思う。牧子さんの話には「自分の親なのに全部私に押しつけた!」というニュアンスがなかったからだ。
(「義父母にいじめられたことは一度もない」というのは伺った)

〔牧子さんのコメント〕
 きっと廿さんもそうだと思いますが、夫が親と一緒に仕事をしていたら、嫁しゅうとめ問題はさほど起きないのではないでしょうか。
 問題が生じるのは、たぶん、しゅうとめが「息子を取られた!」と思うからで、うちは結婚前後で夫の生活にさして変わりがない。義母にすれば、大事な息子は毎日“出社”してきて顔を合わせている。だから、私にも優しく接してくれるのだろうなと思っています。

 牧子さんとご主人はもともとバンド仲間で、ご主人はギターを弾いていたのだそうだ。
 高校2年のとき、牧子さんは友だちと一緒に、地元横浜のバンドフェスみたいなイベントを見に行った。フェスに出演していたバンドの一つがサークル形式でメンバーを募集していて、牧子さんたちはさっそく入った。そこで出会ったのが3歳年上のギタリストさんだったわけだ。
「バンド? 牧子さんはやっぱりキーボードだったんですか?」

 この「やっぱり」というのは、私の個人的な体験から来る。私は昔、あるアマチュアバンドでキーボードを弾いていたのだけど、同時に入っていたアマチュア劇団で、「次回はミュージカル。おまえが作詞作曲生演奏」と演出家に言い渡されて、バンドを抜けるはめになったのだ。
 バンドのギタリストは、私のあとに入ったキーボードの女性と結婚した。私のほうも、そのときの生演奏でギターを担当した劇団員と結婚したから、「ギタリスト+キーボード」という方程式が頭の中にできてしまっている。

 ところが、牧子さんはボーカルだったのだそうだ。ボーカルの牧子さんって想像つかない! 元気いっぱいシャウトしてたんだろうか。見たかった。

〔牧子さんのコメント〕
 ちなみに、うちのキーボードはドラマーと結婚しました。そのドラマーの彼は、今、レコーディングミキサーになっています。キーボードはエレクトーンの先生。
 うちの主人は、本当はレコーディングミキサーになりたくて大学の後にその専門学校に通っていたんですが、勉強中に義父が倒れて、家業(電気工事業)を継がざるを得なくなったんです。でも、勉強したことは結構役に立っているようです。オーディオのセッティングなんかも頼まれたりするようですから。

 私たちの父親世代は、育児をしろとか子供を理解しろとか求められてはいなかった。父親は、息子なら少しはわかっても、娘とは強烈にすれ違うことがしばしばだった。
 牧子さんも「親のお金で大学に行ったら、バンド活動なんか許されるはずはない」家庭だったので、高校を出ると就職してバンドを続けた。早く家を出たい気持ちもあって23歳のとき、ギタリストの彼と結婚した。(「実家の父も70年かかって今では丸くなりました」と、牧子さんは笑っていた)

 牧子さんがテープ起こしに興味を持ったのは、子持ち専業主婦時代。ここからの経歴は結構みんな似てくるのだけど、牧子さんの場合は通信教育がプラスになっている。その話はまた次回。

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手書きの講座をどう捉えるか

 テープ起こしの通信教育講座が乱立した時期がある。新聞や主婦向け雑誌などに毎日のように広告が載っていた。
 在宅ワークバブル、特にテープ起こしバブルの時代だった。私が当時出していたメルマガ「テープ起こしてんやわんや」は、駆け出しの私がてんやわんやするたわいない内容だったが、それでも2000名も読者がついた。

 在宅ワークバブルの時代には「内職商法」「教材販売商法」などと言われる悪徳商法もはびこったが、特に派手にやっていた会社が摘発され、バブルは一気にはじけた。このテープ起こし系業者に対する平成14年の業務停止命令が、今も経済産業省のWebサイトに載っている。

 牧子さんが受講したのは、テープ起こしバブル崩壊後も現在まで生き残っている、ある意味優秀な講座だ。
 この講座の広告には、小さいカセットテレコを左手で操作しながら右手で原稿用紙に書いている写真が載っていた。だから「今どき手書きで起こす仕事なんてないよ!」とか、教材の音声は原稿読み上げ調だそうで「実務にこんな聞き取りやすい音声はないよ」という批判はよく耳にした。

「でもね、1回目の課題は原稿用紙に手書きだけど、2回目からは入力・印字したものを提出してもいいんです。私は2回目から入力してました。それに、最初に原稿用紙の使い方をきちっと覚えるのはいいことだと思います」
 日本語の出版物の文字組み方法は、原稿用紙の使い方が原型になっているから、たしかにそれはそうかもしれない。
 牧子さんが2回目から入力にしたのは、「実務では手書きのはずがない」という判断だろう。こういうとき知識というか視野の広さが物を言う。

 通信教育の会社側から見れば、印字原稿しか受け付けないという形態で通信教育を組むのは、大変というか危険なのだ。
 パソコンを使えない人はまずパソコンを習わなければいけなくなる。普通のパソコン教室に初心者が行くと、「暑中見舞いハガキのレイアウト」などテープ起こしと関係ないことをやらされる。
 だからおそらく講座の質問コーナーには、入力や印刷に関する質問がたくさん寄せられることになるだろう。講座としては、仕事の実態がどうあれ手書きもOKという路線で行くほうが無難なのだ。

〔牧子さんのコメント〕
 テキストと一緒に質疑応答集が配布されていて、そこに、「課題提出の際、印刷した原稿を送っていいのか」といった質問と、「2回目以降は可」といった回答が載せられていました。
 録音は本当にきれいでしたよ。だから、修了試験の課題の雑音入り音声にびっくり! え? 教材と全然違うじゃん! 本当はこういうものなのか……ってね

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クライアントとの距離が遠い…

 今日も、牧子さんの通信教育講座時代の続き。

「1回目の修了試験で、私は合格に1点足りなかったんです。普通のテレコを操作してたから聞き取りに集中できなかった、トランスクライバーを使おう!と思って、すぐ買ってきました」
「トランスクライバーのこと、知ってたんですか? 教材に書いてあったんですか?」
 書いてあったという。トランスクライバーは高価だが、フットスイッチで音声の再生・停止などを操作でき、両手は入力に専念できる。録音媒体がカセットテープ中心だった当時は、プロの必需品だった。それを勧めているということはしっかりした教材だったのだろう。

「修了試験の後、就職の相談にのってもらおうと思って電話しても、試験に受かるまではけんもほろろの扱いでした。でも3カ月後、再試験に合格したら態度が一変!『おめでとうございます。よかったですねぇ』と本当にうれしそうに言ってくださって、その後、2週間ぐらいで系列会社から仕事を出してくれて、報酬金額も良かったですよ。業界でよくいわれる最低料金なんていうことはなかったですね」

 この話は考えさせられる。
 「テープ起こしは簡単。修了すれば確実に仕事を出す」と釣って、再試験や追加講習などにさんざんお金を取ったあげく、ほとんど誰も合格させないように作られた悪徳講座もかつては多かった。しかし、それなりに良心的に作られた講座を受講して「修了試験に合格しない! 仕事を紹介してもらえない! 詐欺だ!」というクレームの中には、本人の実力が足りなかったというケースも含まれているのではないだろうか。

〔牧子さんのコメント〕
 私も、実はちょっと疑いました。「1点足りないって何? もしかして落としてない?」って。でも、とにかくもう一度だけ受けてみようと思って。それで不合格なら、それから疑えばいい。今は、1回目は本当に実力がなかったんだなと思っています。

 テープ起こしというのは案外難しい仕事だ。私が「タレントになりたい、タレントスクールに行く」と言い出したら誰でも「無理だ」と止めるだろう。同様にテープ起こしだって適性や才能や、いろいろなものが必要なのだ。
 通信教育が「テープ起こしは誰でも簡単に習得できる」というニュアンスで、まして「確実に仕事を紹介」と売るのは問題だ(通信教育が直接仕事をあっせんするのは法に触れるので、別会社からという形式にするわけだが)。
 かといって、「すごく難しいです!」と売るのもギャグだしねえ…。

 ともあれ牧子さんは、修了した講座のほかにいわゆる登録会社からも仕事を受注して、順調に経験を積んでいった。
 だが次第に、受注方法を変えようという気持ちがふくらんでいった。クライアントとの距離が遠すぎるからだ。
 疑問点があっても、直接問い合わせられない。牧子さん→登録会社の在宅ワーカー担当者→登録会社の営業担当者→クライアントという順に質問が上がっていき、この順番に下りてくる。途中でうやむやになってしまうことが何度もあった。
 牧子さんは、一度引き受けたことは最後まできっちり仕上げないと気が済まない性格だ。だからエージェント経由をやめ、出版社などからの直請けに切り替えていった。

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琥珀の本をめぐって

 牧子さんが出版社から受注した仕事の一つに、琥珀についてのテープ起こしがあった。洋書を某大学の教授が翻訳したもので、教授は訳を口述して録音し、それを牧子さんが文字化した。
 ゆっくり丁寧に口述され、起こしやすい楽しい仕事だった。しかし、出版社に納品したあとなかなか出版されず、いつしかこの仕事の件は牧子さんの記憶から薄れていった…。

 2006年秋。石好き(←宝石から河原の石ころまで幅広い)なわが家の長女が、図書館で琥珀の本を借りてきた。私と長女はお互いの本を奪って読み合う習慣で、私はそのときも読んでみた。教授のあとがきに、関係者への感謝の文章が入っていた。「山本牧子さん」への感謝が出てきた。

 メールを出したら、牧子さんのほうが驚いていた。この本が出版されていたのを知らなかったのだ。2003年秋に納品して、出版は2004年8月。ずいぶんかかったものだ。
 牧子さんはその話題をSNS内の日記に書いた。業界の大先輩からメールが届いて…と。

 あのー、業界の大先輩ってねえ(笑)。牧子さんの業務スタートが2000年で、私は1999年でしょ。そりゃ最初にテープ起こしでお金を稼いだのは96年だけど、その後入力会社のパートをしていてブランクがあったし、99年以降だってテープ起こしとそれ以外の仕事を並行させているから、経験した量はテープ起こし専業の方ほど多くないんですけど。
 気恥ずかしくて、SNSで「琥珀の本、見つけたのは私なのよ!」と名乗り出られなかった。ここで発表しておきます…。

 お会いした1月11日は、人付き合いがあまり上手でないわが子(山本家の次男くんと、うちの長女)に、親として心配がつきない話も実は盛り上がった。
 でも、次男くんは幼少のころからレゴに熱中し、牧子さんが見ても理解できないような説明書を読みこなし、複雑な大作を作り上げているという。うちの長女は熱中する対象が次々変わるけど、そのたびに図書館から山のような本を借りて読みふけっている(琥珀の専門書もその一つ)。
 彼らの常軌を逸した熱中ぶりがいつか仕事にも生きることを、親としては祈りたい。根気や集中が必要な仕事、テープ起こしをやっている私たちだから。

〔牧子さんのコメント〕
 今、次男にはレゴ友が3人います。レゴがなかったら友達をつくれなかったかもしれない。「テストでいい点を取ったらレゴね」と言えば張り切って勉強する。彼の生活はすべてレゴで成り立っている。レゴビルダーになりたい彼。なれなかったら……あとはどこに進むんでしょうか。親の悩みは尽きませんね。

 お会いしたときは、テープ起こしについて校正ソフトの使い方、音声加工の話、仕事を頼んだときのビックリエピソードなど、いろいろな話題も出たのだけど、今回は介護との両立をめぐる話を中心に書いてきたから、これらがうまくはまらない。また何か別の機会に…。

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